みなぎる博物愛 大阪歴史博物館で「堀田龍之助展」
幕末から明治初期にかけて、大阪で活動した市井の博物家・堀田龍之助(ほったたつのすけ)(1819~1888)の功績を振り返る展覧会が、大阪市中央区の大阪歴史博物館で開催されている。魚の図版作成時の校正作業の痕跡、小さな貝の名前を細かく書き込んだ標本箱。堀田が残したコレクションからは、近代的博物学幕開け期の情景とともに、堀田の博物愛が伝わってくる。 <なにわ鳥目線>大阪城付近から繁華街・梅田方面を望む
原作者と魚の画を校正しながら編集
この展覧会は「なにわ人物誌 堀田龍之助―幕末・近代の大阪に生きた博物家―」。堀田は大坂の商家に生まれ、博物学に関心を持つ。和歌山の畔田翠山(くろだすいざん)を筆頭に、関西で活躍する著名な博物学者との交流を通じて博物学の知識を深めていく。 展示品は堀田が手元に残していた博物資料・堀田コレクションのうち、図譜や標本など約150点。「湖魚奇観」は、琵琶湖に生息する水生生物の写生図を、屏風に多数貼り込んだ大作。それぞれの生物にちなんだ和歌や漢詩が添えられ、リアルな博物画と風雅な文芸を組み合わせた文人趣味が漂う。 「水族図譜」は師事する翠山の著作「水族志」に生物の画がなかったため、堀田が新たに彩色画を加えて図版編として編集した作品だ。博物学にくわしい堀田が下絵を描いたうえで、堀田の下絵をもとにプロの絵師が正式に本画を仕上げるという分業方式だったと推定される。 手本となったと考えられる下絵の一部に付箋が残る。原作者である翠山と堀田との間で、魚の画にあやまりがないかを確認する校正作業のやりとりが記されているという。堀田の手間暇を惜しまない誠実な仕事ぶりが目に浮かぶ。
小さな貝の名前を細かく書き込んだ標本箱
翠山が手掛けた植物標本の一部には、標本に対する堀田の記述が認められる。堀田自身が採集の現場へ同行していた可能性もありそうだ。 堀田は1875年、博物館の前身となる大阪博物場の開設に伴い、職を得る。資料が少ないため、どんな役割を担っていたか定かではないものの、博物学の知識や実績が評価されて迎え入れられたことだろう。官民のわくを超えて博物学に打ち込んだ生涯だったともいえようか。 小さな貝が整然と並ぶ標本箱。細い仕切り材に貝の名前がていねいに書きこんである。担当学芸員は「堀田はコレクターにとどまらない。展覧会の準備のため、収蔵庫で貝の名前が書きこまれた標本に初めて接したとき、堀田は博物学が好きだったのだなと感じた」と、堀田の博物愛に敬意と共感を示す。 書籍編集、下絵作成、フィールドワーク、博物館スタッフ。堀田は市井の人ながら、博物学のためならひとりで何役もこなした可能性が高い。知りたい情報が簡単に手に入りやすくなった現代。試行錯誤を重ねながらも、一歩ずつ事実に迫ろうとしていた先人たちに思いをはせたい。展覧会は6月18日まで。詳しくは大阪歴史博物館の公式サイトで。 (文責・岡村雅之/関西ライター名鑑)