75周年を迎えた2024年のMotoGP。熾烈なチャンピオン争いの歴史は国と国による興亡の物語だった
GP黎明期にAJSとノートンが開いたイギリス王朝
1949年に始まったロードレース世界選手権は、2002年にMotoGPと名を改め、今年で75周年を迎えた。 【画像】「超カッコイイ!」貴重な歴代「チャンピオンマシン」たちを画像で見る(10枚)
これまで幾多の名車、名ライダーが現れたが、その歴史は国と国による興亡の物語と言い換えることができるかもしれない。まずは最高峰クラスのコンストラクターズ争いに絞って話を進めよう。 4ストローク990ccと2ストローク500ccが混走するMotoGPクラス実施までプレミアムクラスは500ccで争われてきたが、当初は4ストロークのイギリス車が主役だった。
並列2気筒を搭載した1949年のAJSを皮切りに、1950年からは路面追従性と安定性に優れるフェザーヘッドフレームに単気筒を載せたノートン・マンクスが3連覇。GP黎明期に英国王朝を開いた。
20年近く続いたイタリア製多気筒エンジンの天下
だが、それはいつまでも続かず、時代は多気筒エンジンへ。かねてよりイギリス勢の好敵手だったイタリアのジレラが1953年に初めてコンストラクターズを制すると、その後は同国のMVアグスタが全盛期を迎えた。
1956年に珠玉の4気筒エンジンで初タイトルを獲得したジョヴァンニ・アグスタ伯爵が興したメーカーは、1958年から1965年まで8連覇を達成。一度は王座を逃すも、1967年以降は3気筒で7連覇。約20年間、イタリアの天下が続いた。
のべ46回メーカータイトルを獲った日本メーカー
1966年にホンダがDOHC4バルブ並列4気筒を積むRC181で1年だけタイトルを奪うが、本格的に“ジャパン・アズ・ナンバーワン”の時代が訪れるのは1974年。 ヤマハがYZR500で2ストローク初のチャンピオンに輝くと、そこから2001年まで2ストロークの日本メーカーが28連覇。4ストローク990ccのMotoGP時代になっても強さは続き、2007年にタイトルを譲るまでさらに5連覇し、33年間、王座を独占した。
ここ何年かはドゥカティらに押されて苦戦しているが、ホンダ24回、ヤマハ13回、スズキ9回と、のべ46回メーカータイトルを獲得した日の丸軍団が、GP史の中で最も長い期間、時に主人公を入れ替えながらプレミアムクラスで最強ストーリーを紡いできたことは間違いない。