「テレビは決して終わらない」元テレビマンの矜持…ネット時代に見せる真骨頂、70年の歴史に見るメディアの底力
テレビ局の歴史的な歩みや現状を丁寧に解説した。現在メディアを取り巻く環境は劇的に変化しているが、かつてテレビは新聞と並んでメディアの中心にいた。多くの人々はテレビに夢中になり、一定年齢以上の世代の方なら、子ども時代に学校の教室で前夜のテレビ番組の話で盛り上がったことを思い出す人も多いだろう。しかしインターネットの登場でその位置づけは大きく変わった。本書『テレビ局再編』 (新潮新書)はそうした中でのテレビの存在意義を改めて見直した。
創成期からお茶の間の定番へ
テレビが居間の中心にあってそれを家族みんなで見るという風景は過去のものになり、今や家族が同じ場所に一緒にいてもスマホやタブレットで個々に視聴するスタイルになっている。 日本でテレビ放送が始まったのが1953年。正力松太郎氏が創設した日本テレビ放送網は日本初の予備免許を52年7月に取得。これはNHKよりも早かったという。本放送を始めたのはHNKが先だったが、以来テレビの文化が歴史を刻んでいくことになる。 ほぼ時を同じくして旧郵政省の免許行政も始まった。若き政治家だった田中角栄氏が郵政大臣となって利害調整を行い、地方の民放も含めて全国にテレビが広がっていった。 皇太子ご成婚、東京オリンピック、あさま山荘事件などでのテレビ中継は時代のエポックとなり、ホームドラマや、『8時だョ!全員集合』などの番組が茶の間に定着した。そして1980年代にテレビは成熟の時期を迎えた、と著者は記す。 パクス・テレビーナ、成熟の汎テレビ時代。1980年代から90年代を総括するならば、基幹放送・地上テレビのメディアとしての「王座」は揺るがなかった。とりわけ、ニューメディアの時代には、衛星放送やケーブルテレビという自由闊達な多メディア多チャンネルが加わり、テレビメディアの世界は百花繚乱の華やかさと豊かさを誇った。しかし、90年代に入って「成熟の汎テレビ時代」は少しずつ終わりに向かっていく。(中略) 汎テレビ時代を揺るがし、変えていったのは、通信とコンピュータの世界からやってきた「ヨソモノ」であり、「ワカモノ」のインターネットだった。
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