山本昌、“ゴロを打っても抜ける”内川聖一が明かしたテクニックに「やっぱり変態だ」打たれまくった過去を振り返る
11月14日(木)に放送された野球トークバラエティ「ダグアウト!!!」(毎週木曜夜10:00-11:00、BSJapanext<263ch>)。今回のゲストは、50歳で現役を引退するまでに通算219勝を成し遂げた中日ドラゴンズのレジェンド・山本昌と、最多勝利や最優秀救援投手などのタイトルを獲得した武田一浩だ。2回目の登場となる2人が、同学年ならではの和気あいあいとしたトークで盛り上がった。 【動画】ゴロにトップスピン…変態すぎる内川聖一のテクを明かす山本昌 ■試合前から勝てるかどうかわかる…ゾーンに入っていた山本 ゲストの2人をMCの上重聡とますだおかだ・岡田圭右が迎え、“○×ダグアウト”のコーナーに移る。制限時間5秒以内に、○か×の札をあげて質問に答えていくという瞬発力が必要なQ&Aだ。「現役時代ゾーンに入ったことがある」という質問に○と答えた山本は、2年連続最多勝を記録した1993年と1994年のことを振り返る。 「試合前から、『勝てるな!』という日がある」と語る山本。キャッチボールをしているときの手からボールが離れていく感覚で、「ちょっと今日いいんじゃない?」と感じることがあるという。その直感が“特上”に冴えている日は、練習をしているときから勝つ予感がするのだと明かす。 1993年と1994年の2年間に、そのような感覚になる日が7~8試合あったのだとか。そしてその感覚を裏付けるように、そんな日の試合は全て勝利。ゾーンに入っている日は、マウンドへ上がって観衆の前に出ても感覚は変わらずだったそうだ。 しかし逆に、勝てるという感覚があっても「ちょっと違う」という日もあった。覚醒していた2年以外はしょっちゅうだったらしく、「今日いいんじゃない?」と思っていたのに意外と勝てなかったり、打たれたりする日もあったとか。プロの感覚とは、それほど繊細なのだろう。 山本が一生懸命言語化を試みていているところに、岡田が「特盛でした?なんでした?」とぼそり。山本がそれに対して「特上の感じ」とゾーンに入っている際の感覚を身振り手振りで説明するのだが、岡田は「あそれ、吉野家か」とボケをかます。 すると山本も負けじと「大体特盛しか食べない」とボケに乗る。スタジオでは謎の攻防に、大きな笑いが起きていた。 ■山本が「めちゃくちゃ打たれた人」 「対戦して手も足も出なかった天才がいる」という問いに○の札をあげた山本。手も足も出ないというよりも「めちゃくちゃ打たれた人」がいるようだ。彼とは対戦初打席から、果てしなく打たれたと振り返る山本。 スタジオが「誰?」とザワついたのを見て、山本から「当時(横浜)ベイスターズです」というヒントが出される。ヒントを聞いた岡田は鈴木尚典の名前を挙げるが、それはハズレ。正解は、首位打者に2回輝いた内川聖一だ。内川は2000年ドラフト1位で大分工業高校から横浜ベイスターズへ入団、その後は福岡ソフトバンクホークスや東京ヤクルトスワローズなどに所属していた。 山本が内川との初対戦を迎えたのは、内川が若干20歳くらいの頃。「誰だこれ」「ドラフト1位居たなこんなの」と思いながら投げると、強烈な当たりを打たれたという。このときからずっと、内川には打たれてしまっていたのだとか。 山本の予想では「通算成績4割以上打たれていると思う」というから驚き。内川が打つと全部ヒットになり、ゴロを打たせても抜けていってしまう…という相性のようなものがあった。そこで山本は、現役引退後に内川に「何でゴロ打っても抜けるの?」と聞いてみたことがあるという。 内川が言うには、落ちたボールに対して“打つ瞬間にしゃくり上げてトップスピンをかける”ことでボールを普通以上に転がらせる…という工夫を凝らしていたそう。平然と謎過ぎるテクニックを語る内川に「やっぱり変態だ」「なんだこいつは」とストレートな感想を持ったと明かし、スタジオの笑いを誘っていた。 ■ゲストが再来しがちな「ダグアウト!!!」 番組名の「ダグアウト」は、試合中に監督や選手が待機するベンチのことを意味する。身内しかいない場所で話すようなコアな話を…という主旨なのだが、同番組の“ゲスト再来率”を考えるとぴったりな名前かもしれない。 今回のゲストである山本と武田も2回目の登場だが、そのほかにも準レギュラーと呼べるほど登場回数の多い選手もいる。キャラクターに差はあれど、特段ものすごくトークが上手い人ばかりが呼ばれるわけでもない。リラックスして話せる同番組に愛着を持って、再出演を承諾する選手が多いのだろう。 回しが上手いMC陣の尽力もあるが、プロ野球選手の話を引き出すにはやはり「さあどうぞしゃべって!」という空気感より「身内しかいない」という安心感が重要なのかもしれない。今後もゲストがリラックスできる空気を維持しつつ、貴重な昔話を掘り起こしていってほしい。