もしもの時のために、忘れることも前提に準備する/塩沼亮潤大阿闍梨「くらしの塩かげん」
1300年間にわずか2人しか成し遂げた人がいない荒行「大峯千日回峰行(おおみねせんにちかいほうぎょう)」の満行者、塩沼亮潤(しおぬま・りょうじゅん)大阿闍梨(だいあじゃり)。最難関の命がけの荒行を経験し、修験道を極めた塩沼さんがいま切に感じるのは「日々の“あたりまえ”のことこそ難しい」ということ。 塩沼さんの著書『くらしの塩かげん』から、私たちの“あたりまえ”の暮らしにそっと光を灯す小さなヒントをお届けします。
忘れる前提で準備する。
文/塩沼亮潤 忘れ物をして焦った経験は、誰にでもあると思います。日常における忘れ物であれば後で笑い話にできますが、私の場合は命がかかった千日回峰行のときでも、つい忘れ物をしてしまうことがありました。 千日回峰行には、38種類の持ち物が必要です。一つ忘れただけでも大変なので、出発前に必ず指差し確認をしていました。ただ精神が張り詰めていたからでしょうか、注意していても忘れたり落としたりしてしまいます。 たとえば、ろうそく。夜明けまでに3本使うところ、2本目を使おうとしたら、ない。でも、大丈夫。なぜなら、万が一忘れてしまったときのために、休憩地点の土の中にろうそくを忍ばせていたのです。 忘れないように準備するだけでなく、忘れることも前提に準備することで、もしものときに自分を助けられます。
塩沼亮潤(しおぬま・りょうじゅん)
1968(昭和43)年、宮城県⽣まれ。1987年奈良県吉野の金峯山寺で出家得度。1999年「⼤峯千⽇回峰⾏(おおみねせんにちかいほうぎょう)」の満⾏をはじめ、2000年には9⽇間の断⾷・断⽔・不眠・不臥の中、御真⾔を20万遍唱える「四無⾏(しむぎょう)」を、2006年には、100日間の五穀断ち・塩断ちの前⾏の後、8000枚の護摩を焚く「⼋千枚⼤護摩供(はっせんまいだいごまく)」を満⾏。同年故郷の仙台市秋保に福聚山 慈眼寺(ふくじゅさん じげんじ)を建立。「⼼の信仰」を国内外に伝えている。簡単なようで難しい日々の「あたりまえ」の大切さを綴った書籍『くらしの塩かげん』(世界文化社刊)大好評発売中。