阪神淡路大震災から20年・淡路島で被災した歌手の打越元久 ── 様々な思いこめ歌う「1/17」
打越元久 阪神淡路大震災を想い歌う「1/17」 ── やしきたかじんの一番弟子 THE PAGE大阪
2014年1月に亡くなった歌手のやしきたかじんさんの一番弟子である打越元久(56)は、淡路島にある兵庫県津名町(現・淡路市)出身。1995年1月17日午前5時46分、突然の揺れに自宅のある米穀店は大きく揺れた。そして、周囲では倒壊した家々も。あれから20年、打越は米穀店店主を務める傍ら、歌手としての活動を続け「1/17」という曲を歌い続けている。この震災を忘れないために。
深夜番組終え、淡路島へ帰宅直後に被災
やしきたかじんさんの一番弟子として約4年活動した後、歌手そして実家の米穀店を継いでいた打越は、親友のナレーター畑中ふうとラジオ番組に出演。95年1月17日は当時FM大阪で放送していた「RADIO HAAFUU」に出演後、阪神高速やフェリーを使って淡路島の自宅へ。当時は明石海峡大橋がなかったためフェリーを使うのが手段だったという。帰宅したのは午前5時で「さて、そろそろ寝るか」と思った瞬間、「ドーン」という激しい音とともに自宅が揺れた。そして静かになり「なんやねん、これは」と感じた・ しかし後に、外がざわざわ騒がしくなってきた。「外に出たらつぶれている家が何軒かあって地震ということは分かった。けど、報道もみられへんし、ほんまに混乱しましたね」。近所の人らとはなし、プロパンガスはすぐにみんなで止めたので火災などの心配はなくなった。 自宅を見たら少し斜めになっていたが、家族にケガはなかった。しかし、周囲の家ではがれきの中に埋まっている人もいると聞き助けにいくが、助けようとするとがれきは崩れて、さらに壊れる。消防を待ったが、消防車は来ない。もどかしい時間だけがすぎたが、道がふさがって車が通れない状態だったとしったのは後のことだった。
「揺れ」の恐怖が体にしみついて離れない
「阪神淡路大震災というのは、自分にとって『なにもできなかった』という思いがあります。今でも思い出すと怖い。地震でちょっと揺れただけでも、あの時のことが浮かんでくるんです」 2013年4月13日には「あの時」と同じく、淡路島を震源とした「淡路島地震」が発生。震度6弱の揺れで、自宅のスタジオに置いていたギターの数々が倒れるなどの被害を受けた 「あの時の揺れはほんまに怖かった。忘れていたころにというか。阪神淡路を思い出したし、ギターとかいろいろ倒れてほんまにびっくりしましたね」。揺れの恐怖感が体にしみついていて、離れないという。