“戦前”を肯定するものは全てダメ?広島市長が職員研修で“教育勅語”使用し物議 ひろゆき氏「炎上目当てだったのでは?」 専門家「本来の趣旨がねじ曲げられているのが問題」
また、「客観的に見て、広島市長は一連の反省点もかなり激しく言っている。それがいい加減なら教育勅語を擁護したいんだなと思うが、そうではなかった。事実に基づいて多様な意見を議論しようと盛んに言っている」とし、「本当は保守派が、左派以上に反省しないといけない。また、教育勅語を復活しようというわけでもなく、儒教やキリスト教、武士道といった中の“ワンオブゼム”として位置づければ、危険なこともない」とした。
■130年前の教育勅語、道徳への活用はダメ?
ひろゆき氏は「例えばハーケンクロイツに対するイメージがあるように、教育勅語が右派の人たちの“あの時代に帰りたい”というシンボルとしてあるなら、特別視することも必要なのではないか」との見方を示す。 高橋氏は「教育勅語を読んで率直にどう思うかが大事。先入観や偏見、レッテルを貼って見ているのが我々の世代で、そこがどんどん抜けていけば変わっていくのではないか。今の時代に教育勅語ありきの道徳教育はあり得ない。道徳のキーワードは共感、思いやりで、現代の若者たちがそれを教育勅語にどれだけ感じられるか。ただ、いろいろなところで学べることなので、やはりワンオブゼムだ」と述べる。
また、「“民主的発想が盛り込まれている”という市長の話があまり深まっていない。教育勅語に『億兆心を一にして』という箇所がある。上皇后陛下が『国柱太しくあれ』という歌を詠んでおられるが、明治天皇が西洋から文明を輸入しながら、日本の伝統的な精神はしっかりと太しくあれと。五箇条の御誓文にも『万機公論に決すべし』とあるが、民主主義そのものだ。天皇も国民も一体となった日本的な民主主義があるという前提がある」とした。 ひろゆき氏は「教育勅語ではない新しい道徳があるべきだというのは、たぶんみんな同意すると思う。一方で、宗教もなくなってしまい、何が正しいのかふわふわして芯がないのが今の日本。新しい道徳が作れないのであれば、教育勅語的な思想があるほうがまだましだというのは、一理あると思う。むしろ反対派の人は、“これが道徳なんだ”というみんなが納得するものを出すべきだ」と指摘した。(『ABEMAPrime』より)