“戦前”を肯定するものは全てダメ?広島市長が職員研修で“教育勅語”使用し物議 ひろゆき氏「炎上目当てだったのでは?」 専門家「本来の趣旨がねじ曲げられているのが問題」
一方、ネット掲示板「2ちゃんねる」創設者のひろゆき氏は「例えば、ヒトラーの『我が闘争』にも、今でも価値のある文章はあると思う。ただ、名前を出す必要はなく、“一生懸命働こう”“家族仲良くしよう”と言うだけでいい。あえて教育勅語を持ってきたのは、炎上目当てだったのではないか。そういうことを研修でやり始めたら、全然関係ない議論が巻き起こってしまう」と指摘する。 これに高橋氏は「どういう意図で言ったのかはわからないが、マスコミの質疑応答もやはりすれ違っていた」とした上で、「教育基本法は教育勅語を肯定して作った、ということは文章で出ていて、これが政府・文科省の公的解釈だ。それなら、単純に憲法違反と言うべきではない。この話は1つのタブーで、教育勅語はすぐ軍国主義などと言われるが、本当にそうなのか?と。全面的に否定する風潮に対して一石を投じる意味は大きいと思う」との見方を示した。
■「本来の趣旨がねじ曲げられているのが問題」
市民団体の抗議内容について、ひろゆき氏が「“兄弟に 友に”は差別用語ではない。なぜ憲法違反なのかが全然わからない」と疑問を呈すると、高橋氏は「中身と扱い方が混同されている」と答える。 「問題なのは扱い方だ。“教育勅語が唯一の教育だ”と過大視し、形骸化してしまったが、中身を冷静に読んでみると、“兄弟に 友に”をはじめ反動的ではない。問題があるとすれば“一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ”ぐらい。しかし、国家というものを認めるならば、“一旦緩急あれば国家のために”というのは普遍的なことだと思う。 教育勅語は井上毅という人が起草したが、政治上の命令ではなく、社会上の君主の著作広告と言っている。つまり、天皇の個人的なお言葉だと。最後は『拳拳服膺(けんけんふくよう)して咸(みな)其の徳を一にせんことを庶幾(こいねが)う』で終わるが、“みんなで徳を1つにしましょう”“国民と天皇が1つになってやっていきましょう”と言っているわけだ。ただ、軍国主義に利用されたのは事実。本来の趣旨がねじ曲げられ、政治上の命令のごとく利用されたり、神聖視されたりしていることが問題だ」