【イベントレポート】「魔女の谷」本日開園!ジブリパーク構想発表から6年9カ月、全エリアがそろう
ジブリパークの新エリア「魔女の谷」が本日3月16日に開園。その開園式典にスタジオジブリのプロデューサーである鈴木敏夫、制作現場を指揮してきた宮崎吾朗、事業主体である愛知県の大村秀章知事らが出席した。 【画像】「魔女の谷」にある「グーチョキパン屋」。(他9件) ジブリの作品世界が表現された愛知の愛・地球博記念公園内にあるジブリパーク。魔女の谷は魔女が登場する作品をイメージしたヨーロッパ風のエリアで、「魔女の宅急便」の「グーチョキパン屋」や「オキノ邸」、「ハウルの動く城」の「ハッター帽子店」や「ハウルの城」、「劇場版 アーヤと魔女」の「魔女の家」といった作品に登場する建物が建設された。今回のオープンによってジブリパークのすべてのエリアがそろう。 2017年6月に大村が構想を発表してから、5つのエリアすべてが開園するのに約6年9カ月。この年月を振り返り、鈴木は「特別の感慨があります。実作業にそんなに掛かったのかと。手前味噌ですが、スタジオジブリの宮崎吾朗くんが本当にがんばったと思います」と話し始める。 宮崎駿の映画「君たちはどう生きるか」の制作期間が7年だったことにも触れ「同じだけ吾朗くんも実はジブリパークを作っていたという話をしたら、吾朗くんから抗議が入りまして『あの……映画(『アーヤと魔女』)も作っていました』と(笑)」と明かし、「本当に吾朗くんはがんばりました。改めて親父といろんな面で似ていますね。言い出すときりがないですが、工期をちゃんと間に合わせるとか、本当にいろんな意味でお父さんと似ています。本人は嫌がるかもしれないですけど、そう思います」と労った。 宮崎吾朗は「とにかく知事との約束の工期に間に合わせることができたというのが最大の喜び」「ジブリパークを今後皆さまにお渡しして、長く愛していただければという気持ちでいっぱいです」と吐露。さらに「映画を作り終えると、それ以上、自分たちにできることはなくて、あとは観客の皆さんに委ねるものだという感じがあります。でも、施設というものは作り終わったときが終わりではなくて、実はスタートなんだと思います。本当に100年ここにあり続けるようなジブリパークでいるために、今後もさまざまなお手伝いさせていただければ」と続ける。 そしてジプリパークでの建設作業を振り返り「私たちジブリだけではなくて、設計者、施工者、いろんな方たちの力を借りて、一緒に走りながら作ってきたという考えがあります。(今立っている)この床の石張りもいろんな建物の工事も、それぞれに携わった職人さんの顔が1人ひとり浮かびます。本当にこのジブリパークを皆さまに愛していただければと思いますので、今後ともよろしくお願いします」と語った。 ジブリパークは事業主体を愛知県、企画監修をスタジオジブリが担当。中日新聞社とスタジオジブリが共同で設立した株式会社ジブリパークが管理運営を行う。チケットは入場2カ月前の毎月10日14時に発売。Boo-Wooチケット、ローソンやミニストップ店頭のLoppi、ローチケで購入することができる。 (c)Studio Ghibli