実は「総理大臣選出」に絶大な影響力を持つようになった自民党員、日本は果たして議院内閣制の国と言えるのか
国民民主党の躍進は、ブームとなっていた維新に入れていた人たちの票が流れて来ただけとも言えるし(今回、維新は、大阪周辺を除いて伸び悩み、全体として6議席を減らす結果に)、自民党にお灸を据えたいというこれまで自民に入れていた票が、(1)投票に行かない(投票率低下)、(2)白票を投じる(無効票増加)、(3)立憲民主党など野党に入れる、という形で分散し、一定割合が国民民主党に流れただけ、という評価も出来ます。 自公で64議席を減らす中で(自民56議席減・公明8議席減)、ブームが去った維新が6議席減らし、減った70議席分について、立憲民主党が50議席を増やし、国民民主党が21議席増やしたというのは、ある意味、ネットの影響力云々を超えて、まあ分かりやすい議席のシフトとも言えます。 要はこの論考で結論的に言いたいことは、構造的に既存政党たちは(特に自民・公明・共産)、その集票力に高齢化などの影響があって陰りが生じ、よほどの党改革などを進めない限り、徐々に弱って行くことは間違いないが、しかし、特に自民党は、しばらくは、大きな存在であり続けることもまた同時に間違いないということです。すなわち、今の20~30代前半までの「令和生まれ以降の世代」に世の中の中心が取って代わられるまで、少なくともあと20年くらいは、自民党の影響力の大きさはある程度続き得るということです。 そうした中、つまりは、実は徐々に力を弱めていく自民党の中で、自民党員になり、議員になるなどして、自民党を通じて影響力を行使するというのは、政治的には、実は妥当な戦略とも言えます。今の世の中の流れを見ると、“逆張り”とも言える話・戦略とはなりますが、武力革命でも起きない限り、自民党の影響力が一気にゼロになるとは考えづらく、皆の注目が国民民主党や、ネットで注目を集める政党に向いている間に、しばらくは、国会で仮に過半数を割るとは言っても大きな勢力であり続ける自民党を内側から支配することは、理にかなった行動とも言えます。 維新のブームが全国政党としては10年ほどの期間を経て去り行く中、国民民主党もこれ以上伸びるかわからず、また、維新で一時期頻発したように、即製の候補を入れて国会議員等に仕立てた結果のスキャンダルが頻発しないとも限らず(まさか、党代表の玉木さんのスキャンダルが真っ先に表面化するとは思いませんでしたが)、落ち目とは言え、安定的基盤のある自民党に張るのは、影響力行使という観点からは、悪くない選択肢です。 そして実は、高齢・保守・男子という自民党支持層、すなわち、ブームとなっているネット世界よりも既存メディアなどを重視する層、さらに言えば、既存メディアすらも無視し、自らの保守的思想を確固として持つ層が、意図せざる結果として、物凄い影響力をその実、持ち始めているとも言えます。この論考では、そのことを少し解像度を上げて見ていきたいと思います。 ■ 自民党総裁選を振り返る そもそもこの政局のきっかけとなったのは、岸田文雄前首相の、総裁選不出馬宣言でした。裏金問題で自民党の支持率が下降している中、次期総選挙を戦うには新総裁のほうがふさわしいという判断があってのことでした。すべてはここから始まります。 ただこの流れについて、私は昨年秋ごろから予測し、周囲の人にも語っていました。つまり、昨年秋ごろには「岸田首相は解散のカードを切るのか、それはいつか」というのが永田町周辺の大きな関心事になっていましたが、私は岸田さんは解散を打てないと思っていました。当時はまだ裏金問題は取り沙汰されていませんでしたが、昨年5月のG7広島サミット開催後のタイミングを逃したうえ、息子さんの総理公邸でのパーティの件など、さまざまなスキャンダルが浮上し、その後、支持率は一向に上がりませんでした。 そういう状況ですから私は、岸田さんは最終的には、解散も打てず、自民党総裁選にも出馬できないだろうと予想していました。この予測も当たりました。