上岡龍太郎さんが語っていた「M-1に出たら予選落ちするわ」 引退後の生活についてサンミュージック社長が明かす
現役時代に個性的な話術で人気を博し、数々のテレビ番組で司会を務めたタレントの上岡龍太郎さん。彼が81歳で亡くなって1年ほどになる。 【レア写真】島田紳助、関口宏らと番組を担当していた頃の上岡龍太郎
かねて公言していたとおり2000年に一切の仕事を辞めてスパッと引退し、その後、友人知人らの葬儀にあたってコメントを発することを除けば、メディアからは姿を消していた。 引退後、上岡さんはどうしていたのか。知られざるその様子の一端を明かすのは、お笑いコンビ「ブッチャーブラザーズ」のリッキーこと、芸能事務所サンミュージックの岡博之社長(65)だ。
電話でも“私が上岡龍太郎です”
岡社長が上岡さんと初めて会ったのは引退後のこと。 「上岡さんと昔から仲良くされている方がお声がけくださり、お辞めになってだいぶたってからお会いしました。それから時々ゴルフやプレー後の食事にご一緒させていただきました」 初めて話した時、テレビで見ていたのと変わらぬ流ちょうな口調に驚いたという。 「じつは最初にお話ししたのは、お目にかかる前、電話ででした。電話に出られるなり“どうも、岡さん、私が上岡龍太郎です”っておっしゃったのですが、まさにあの頃のままの口調でした。思わず“そのままですね!”と言ってしまったほどです」 上岡さんはこう冗談めかして笑ったという。 「そりゃそうやろ。上岡龍太郎以外の何ものでもないのに、違う名前は言わへんやろ」
「ゴルフが本当に上手で、周りが邪魔しても…」
それで「来月、(ゴルフの)コンペがあるから一緒にやりましょ」と誘われたわけだが、ゴルフ場ではその“芸”に驚くことに。 「ゴルフが本当にお上手だったので、まわりがなんとかして邪魔しようと、上岡さんがスイングする直前に“7番ホールでんな。百人一首七番といえば?”とお題を出すんです。すると上岡さんは“天の原/ふりさけ見れば/春日なる~”とソラで七番を正しく詠んで、それから“安倍仲麿”って詠み人まで答えてスパーンと見事に打つんです」 みな目を丸くしたという。 「他にも例えば14番ホールで“第14代米大統領は?”って聞くでしょ。これにも即座に“フランクリン・ピアース”ですよ。いろんなパターンがありました」 上岡さんは博識なことでも知られていたが、まさしくその片鱗見たりである。 岡社長はラウンドしながらあることに気が付いた。 「テレビに出ていた頃と比べると、話し方がとてもソフトで優しかったんです」 上岡さんといえば、触れるとケガをしそうな、まるでマシンガンを連射するような“強い喋り”が特徴だった。 「だから言ったんですよ。“師匠、テレビの時と違って喋りが柔らかいですね”って。上岡さんは“テレビの時はテレビなりの『上岡龍太郎とはこうや』という張り方があったんや。中身は変わらへんよ”とおっしゃいました。話術はまったくさびついてなどいないし、プレーの合間のお話もずっと面白い。それはもう、楽しいゴルフでした」