加藤登紀子が語る、訳詞で表現してきたシャンソンの奥深さ
歌い手によって女性にしたり男性にしたりは訳詞の世界ではわりとする
ナントの雨 / 加藤登紀子 加藤:ウィーンでピアニストが全部プロデュースをしてくれたんだけど、謎の男が一人いるんですよ。登紀子はなぜ死にそんなに興味があるのかって。死というテーマが多いって言われて初めて気づいた。何の仕事してる人なの?って訊いたら、警察の死体確認係だった。 田家:えー! 加藤:要するに検死官だったの。考えられないでしょ? 音楽家じゃないんだけど全体のデッサンですよね。これはこういう感じでやったらいいんじゃないかとか、なんとなく全体の音楽のプロデュースを彼がしてたというなんとも言えない経験でしたね。 田家:死というものが彼にとっても気になった言葉だったんでしょうね。 加藤:そうですよね。共感したんですよ、きっと私の選ぶ曲の中に「死に憧れて」というバルバラの曲、他にもありましたし。 帰り来ぬ青春 / シャルル・アズナブール 田家:加藤さんが選ばれた4曲目、シャルル・アズナブールで「帰り来ぬ青春」。 加藤:アズナブールの分厚い自伝がある。彼はアルマニアから流れ着いた難民の大道芸人の家族の子どもだった。かろうじて生きに抜いたアルメニア人の一人だったという。 田家:シャンソンの中でも青春というテーマは大きなテーマとしてあるんでしょう? 加藤:そうですね。有名なのはラ・ボエム。私大好きで、日本語にして歌ってたんですけど、島さんと『シャントゥーズTOKIKO ~仏蘭西情歌~』というアルバムを作ろうとしたときにアズナブールの中から取り上げたのが「帰り来ぬ青春」。これを初めて日本語にしたので、この曲を今日選んだんですけどね。 帰り来ぬ青春 / 加藤登紀子 田家:加藤さんの選んだ曲に死が多いという話がありました。シャンソンの中の青春、アメリカン・ポップスにも青春をテーマにした曲が多いですけど、かなり違いますよね。 加藤:そうですね。必ず挫折ですね。アズナブールでは「戦争の子どもたち」というのも日本語にしてて、あとは「悲しみのベニス」とかラ・ボエムとか、「私は一人片隅で」っていう。これもわりと初期から歌っていたんですね、たくさんあるんですアズナブールはね。 田家:やっぱり挫折した経験のある人が惹かれていく歌なのかもしれません。 懐かしき恋人たちの歌 / ジャック・ブレル 田家:ジャック・ブレルの1967年の作品で「懐かしき恋人たちの歌」。シャンソンと私というテーマで選んでいただいた7曲の中にジャック・ブレルは3曲ありました。 加藤:ジャック・ブレルが大好きで、1曲ずつ全然違う世界を作る人なんですね。似た傾向ってやっぱりあるじゃないですか。アズナブールとか。いや、このジャック・ブレルというシンガー・ソング・ライターとしての紛れもないシャンソン歌手であって、あえて3曲を1人のアーティストから選んでみたんですけれども。 田家:3曲というのは「懐かしき恋人たちの歌」、「行かないで」、「愛しかない時」。「懐かしき恋人たちの歌」はどういう出会い方だったんですか? 加藤:私は「懐かしの恋人の歌」って訳しているんですけどね。ジュリエット・グレコが歌っていたんです。グレコが歌っていたのを聴いて、もうすごい好きになって、それで歌い始めた。ライブで歌うことから始めたんですけど、この歌が男性の風景を歌っているのか、女性からのメッセージを歌っているのか確かめもせずに女性で私は訳しているんですけども。 田家:シャンソンはそういう解釈を任されるみたいなところもあるんですかね。 加藤:男性形、女性形って語尾が変わったりするのではっきりしているのもかもしれないですね。でも、歌い手によって女性にしたり男性にしたりは訳詞の世界ではわりとしていますね。ジュリエット・グレコはたくさんブレルの曲を歌っている人で、ジャック・ブレルを歌うという名アルバムが残っているんですけど、何十年も一緒にピアニストとして連れ添った彼女のパートナーはジャック・ブレルのピアニストでもあった。なので、グレコのためにピアニストが書かれた歌かもしれないなと思ったりもして、私は女性の詞として翻訳してきた。しかも何十年も一緒に連れ添ってきたピアニストとグレコの関係を思い浮かべながら訳詞を作ったんです。