ベストファーザー賞も受賞し、社長であり、勉強もできる「プロレスラー棚橋弘至」唯一の「欠点」
棚橋)楽しさの基準は自分のなかにしかありません。「いいこともあれば悪いこともある」というのが世の常ですが、いいときと悪いときをグラフにして、人生を終えるときに平均したらトントンになると思うのです。いまは悪くても「これからよくなるぞ」という考え方でいけば、辛くても乗り越えられるかなと思います。 黒木)いいことがあったときも驕らず、次にくるかも知れない落ち込んだときのために備える。 棚橋)そのときのために準備しておけば、ダメージも最小限になります。 黒木)禍福は糾える縄の如し、ですね。棚橋さんはいま社長も務めていますが、映画にも出演されたのですよね? 棚橋)恥ずかしながら、映画で主演をしまして。 黒木)演技は初めてだったのですか? 棚橋)初めてでした。 黒木)いかがでしたか? 棚橋)準備期間を設けていただき、演技指導してもらいました。あとは滑舌ですね。私はサ行やタ行が苦手だったのです。「外郎売り」をやらせていただきまして、「拙者、親方と申すは、お立ち会いのうちにご存知のお方もござりましょうが」とずっとやっていました。 黒木)暗記したのですか? 棚橋)全部暗記しました。 黒木)もう棚橋さんは、やってできないことはないですね。 棚橋)はい。勉強もできますので。 黒木)プロレスもできて、社長もできて、勉強もできるという。 棚橋)悪いところがなさそうですが、1つ悪いところがあったのですよ。「優し過ぎる」のですね。 黒木)出ましたね。ではベストファーザー賞も、お嬢さんには優し過ぎるのですか? 棚橋)そうですね。「あれ買って、これ買って」と言われたら「いいよ」と言ってしまいます。この間も「欲しい服がある」と言われて一緒について行き、「いいよ」と言ってきました。もう大学2年生なのですが。 黒木)そんなに大きいのですね。
棚橋弘至(たなはし・ひろし)/プロレスラー・新日本プロレス社長 ■1976年、岐阜県生まれ。 ■立命館大学法学部時代にレスリングを始め、1999年、新日本プロレスに入門。10月、真壁伸也(現・刀義)戦でデビュー。 ■2003年に初代U-30無差別級王者となり、その後2006年に団体最高峰のベルト、IWGPヘビー級王座を初戴冠。第56代IWGPヘビー級王者時代には、当時の歴代最多防衛記録であるV11を達成した。 ■またプロレスラーとして活動する一方で、執筆の他、テレビ番組等に多数出演。2018年には映画『パパはわるものチャンピオン』で映画初主演。2016年にはベスト・ファーザー賞も受賞した。 ■愛称は「100年に1人の逸材」。 ■2023年12月、新日本プロレス新社長就任を発表。