ユダヤ教・キリスト教・イスラム教との決定的な違いは何か? 「不世出の語学の天才」が解明した仏教の「計り知れない奥深さ」。
中国語よりヨーロッパ語の方が翻訳しやすかった?
それでは、初期の仏教では、いったい何語が用いられていたのだろうか。 最古の仏教テクストとされるテーラワーダ(東南アジア系仏教)の仏典は、「パーリ語」で記されている。パーリ語は、アショーカ王の帝国で用いられていた言語に近いといわれるが、現在は使われておらず、仏典や仏教儀式の用語として伝わるのみだ。しかも、〈パーリ語はブッダ自身が話した言葉ではないことはほぼ確実である。それゆえに、これはすでに翻訳ということができる。〉(同書p.118)という。 また、仏教は「アジアの宗教」と思いがちだが、それも結果からみた思い込みらしい。 〈かつて仏教がインドから中国に伝播したことは、文化的には(中略)度肝を抜くことであった。ヨーロッパの諸言語は、中国語、日本語、チベット語よりもインドの諸言語に近い関係にあり、仏教概念の翻訳はそれ以上に難しくはないはずである。〉(同書p.18) パーリ語やサンスクリット語と同じ「インド・ヨーロッパ語族」に属するヨーロッパの言語のほうが、中国語よりも翻訳しやすかったはずだ、というのだ。 こうして仏教は、中国語やチベット語、東南アジア諸国の言語をはじめ、モンゴル語、コータン語、トカラ語、西夏語…など様々な言語に翻訳された。そしてその言語に新たな文字文化を誕生させたり、その土地の文法学や論理学、さらに言語文化や文学・思想の源泉にもなった。 その結果、〈仏教の計り知れない多様性は他の宗教に見られるものを遥かに超えている〉(同書p.18)といい、〈仏教を一律に語ることはほとんど不可能である〉(同書p.27)という。 〈仏教は、多様な文化に対する並はずれた適応能力によって、特異な豊かさを呈している。それゆえに、仏教徒ではなくても、仏教研究は魅惑的である。〉(同書p.27) この巨大な翻訳活動から生まれた多様性こそが、「世界宗教」としての仏教の「深さ」であり、キリスト教やイスラム教、ユダヤ教とは大きく異なる「強味」なのだ。 ※著者・ロベール氏の詳しい経歴については、〈これは日本人研究者には書けない!? フランス屈指の東洋学者による〈世界レベル〉の仏教史、驚きの日本語版。 〉を、さらに、〈中国経由で伝来・進化した日本仏教は「ガラ仏」だ! しかし、そこにこそ「仏教の本質」が見えている。〉もぜひお読みください。
学術文庫&選書メチエ編集部