ユダヤ教・キリスト教・イスラム教との決定的な違いは何か? 「不世出の語学の天才」が解明した仏教の「計り知れない奥深さ」。
約2500年前のインドに生まれた仏教が、アジアに生まれた他の無数の宗教とは異なり現在の世界に広がっているのは、なぜなのだろうか? 唯一神を信仰するユダヤ教・キリスト教・イスラム教との大きな違いとは? 講談社選書メチエの『仏教の歴史 いかにして世界宗教となったか』(ジャン=ノエル・ロベール著/今枝由郎訳)は、多言語に通じた著者の視点で、「仏教の強さ」を明らかにしている。 【写真】「翻訳」に秘密あり
コーランはアラビア語、カトリックはラテン語、では仏教は?
本書の著者、ジャン=ノエル・ロベール氏は、仏教を中心とした日本文化の研究で国際的に高く評価されるフランスの東洋学者で、2021年、第3回人間文化研究機構日本研究国際賞を受賞している。 ロベール氏は、母語であるフランス語のほかに、中国語・日本語・英語はもちろん、朝鮮語、サンスクリット語、チベット語、ラテン語、ギリシャ語…などに通じた「ポリグロット(多言語話者)」で、学生時代から「不世出の語学の天才」と称されていたという(本書「訳者解説」)。 そして、その能力は、仏教研究においても存分に発揮されてきた。ロベール氏は、さまざまな言語の仏典と言語資料を読み込むことで、仏教の世界的な広がりと多様性を明らかにしてきたのである。 ではなぜ、仏教には「さまざまな言語の仏典」があるのだろうか? 実は、「さまざまな言語に翻訳されてきた」ということこそが、世界宗教としての仏教の大きな特徴なのだ。一方、一神教であるキリスト教やイスラム教、ユダヤ教は、必ずしもそうではなかった。 〈言語の問題は経典と切り離すことができない。コーランはその原語であるアラビア語でしか学習されないし、ヘブライ語のモーセ五書だけが今日でも書写されるということを知らない人はいないだろう。また今から数十年前までは、カトリックでは聖書はラテン語で読まれていた。言語と宗教は密接に繫がっている。〉(『仏教の歴史』p.25) 仏教と同じくインドに生まれたヒンドゥー教でも、〈神々と人間の完全な言語〉としてサンスクリット語が尊重されてきた。ところが仏教は―― 〈諸々の精神的伝統の中で、仏教は開祖がその教えをある特定の言語に限定してはならないと規定した最初であり、ブッダは各々の民族の言葉で教えを伝承することを推奨した。仏教の伝道者たちが、その教えをインドの内外に伝えた時、彼らの最初の仕事は受け継いだ教えをまずは口頭で、次いで文字で翻訳することであった。〉(同書p.25-26) 開祖であるブッダ自身が、他言語への翻訳を推奨していたのである。 言語からみた仏教の「意外な歴史」は、まだある。原始仏教といえば「梵語」すなわちサンスクリット語、と連想してしまうが、どうやらこれは日本人特有の「誤解」らしいのだ。 日本の仏教寺院では、よく「梵字」を見かけるが、ブッダ自身が梵語(サンスクリット語)で教えを説いたわけではなかった。むしろ〈サンスクリット語は最初は仏教徒に軽蔑されたが、そのうちに主要な伝道言語の一つとなった。〉(『仏教の歴史』p.26)という。 〈ブッダ在世当時およびその後の何世紀にもわたって、インドの宗教的、知的で偉大な言語はサンスクリット語であった。ブッダは明言してはいないが、弟子たちに彼の教えをサンスクリット語にしないようにと忠告していたと伝えられており、初期の仏教徒たちは意識的にサンスクリット語を避けてきた。その理由は、サンスクリット語とバラモン教との繫がりがあまりにも強かったからであろう。〉(同書p.118-119) バラモン教とはヒンドゥー教の前身で、仏教以前からインド宗教の主流だった。しかし紀元1世紀頃から、バラモン教の聖典以外でもサンスクリット語が使われるようになると、そうした状況に追随して、仏教もサンスクリット語を用いるようになった。そして―― 〈中国文化圏では、そして不思議なことに日本では、サンスクリット語は「ブラフマー神〔梵天〕の言葉〔梵語〕」として真言を記すのにもっとも有効な言葉となり、それを記すインド文字〔梵字〕も同じように見なされた。〉(同書p.119)