古賀紗理那 メダル届かず涙の五輪から満面の笑み!西田と夫婦Vサイン引退報告 第二の人生は「夫のお世話を頑張りたいなと」
バレーボール女子日本代表のエースとして、東京五輪、パリ五輪とチームをけん引した古賀紗理那(28)=NEC=が16日、都内で引退会見を行った。3日のパリ五輪1次リーグ・ケニア戦が現役最後の試合。会見では小学2年から20年間打ち込んだ競技人生を振り返りつつ、決断に至った経緯や、ともにパリ五輪に出場した日本代表の夫・西田有志(大阪ブルテオン)と過ごす第二の人生について語った。 【動画】古賀紗理那引退会見を夫の西田有志も見守り♥夫婦2ショット 急遽メッセージ やり残したことはない。古賀はヒールに、淡いグレーのパンツと、濃いグレーのブラウスを合わせた姿で登場。普段は報道陣の前で多く話すタイプではないため「緊張しています」と少したどたどしさも見せながら、引退を報告した。 「プロバレーボール選手としてのキャリアを終える決断をしました。(パリ五輪では)目標のメダルに手が届かず悔しかったけど、チームとして積み上げてきたものは消えない。小さいころからの家族の支え、たくさんの方に指導してもらえたことに感謝している」 決断は、パリ五輪へ向けて代表主将を背負い始めた2022年。東京五輪で引退する構想もあったが、同1次リーグ初戦で右足首を負傷して満足いくプレーができなかった悔しさがあり「まだまだやり残したことがある」と再起した。家族にはその時点で「パリで最後にするね」と報告。退路を断ち、3年後の夢舞台に進む決意を固めた。 エースとして生き続けてきた。小学2年でバレーボールを本格的に始め、180センチの長身を生かし、大津中、熊本信愛女学院高と各世代で大活躍。高2の13年にA代表に初選出されると、“木村沙織2世”と注目を集め、コートでは攻撃の軸として存在感を発揮した。 Vリーグでは3度の優勝と、MVPを獲得。24年のネーションズリーグでは準決勝で強豪・ブラジルを撃破して銀メダルを獲得し、同大会ベストアウトサイドヒッターに選出された。現役最後の試合となったパリ五輪・ケニア戦では、チーム最多16得点を記録。「バレーボールが大好きな古賀紗理那として戦いました」と大粒の涙を流し、コートに別れを告げた。 主将兼エースの大役を背負った代表活動は、チームメートとの熱量の差に苦しむ時間も多かったが、葛藤しながらでも12年間走り続けた。まだまだ世界で通用する実力にファンからは引退を惜しむ声が届くものの「ここまで絶対にやりきると決めたのが28歳だった(だけ)。全力で出し切った」と後悔はない。 今後については「全くの未定」と話しつつ「夫のお世話を頑張りたいなと思っています」と、満面の照れ笑いを見せた。会見の最後には花束を持って夫・西田とツーショットを撮り、曇のない晴れやかな表情で会見場を去った古賀。第二の人生を歩き始めた。 ◆古賀紗理那(こが・さりな)1996年5月21日、熊本県出身。母の影響で小学2年のときにバレーボールを始めた。大津中3年時の全日本中学校選手権で3位。信愛女学院高に進学し、高校2年で日本代表に選出された。3年時はインターハイ準優勝。卒業後の15年からNECに所属。23年元日に男子日本代表の西田有志との結婚を発表し、23-24年シーズンは皇后杯とVリーグを制する2冠で2連覇とMVPの活躍を見せた。21年東京五輪、24年パリ五輪代表。180センチ。最高到達点は305センチ。