松下幸之助ら若手開業を支えた黄金期の形成、「大大阪」の経済構造とは
新規開業を支援する経済的な仕組みの成立
こうした意欲のある若い企業者、経営者を支援する経済的な仕組みが大阪にはあった。谷町機械商街と新町・立売堀の機械工具商街である。 1930年代半ばには谷町筋に集まる中古機械商は100軒を超えた。1930年頃、新品の3フィート旋盤は国産品で380~1410円したが、谷町に行くと同じサイズの中古品が140~150円で購入できた。品質はそれほど高くなくとも、中古品を設備してできる仕事は多くあり、安価な中古品は開業コストの引き下げに貢献し、意欲ある経営者の新規開業を促したのである。 新町・立売堀機械工具商の存在も同様であった。問屋街全体として豊富な品揃えを実現し、機械工場の経営者にとってありがたい存在であった。多くの機械商・機械工具商は徒弟奉公を経て独立していった。 代表的な機械工具商の一つである林音吉商店から独立した機械工具商は、林音会を組織して主家を中心にして相互の親睦を図った。1932年に30歳で独立したある機械工具商によると、開業に際して電話一本と200円の祝儀をもらったという。酸素ボンベや溶接機器の提供を通して、溶接材料商も町工場での溶接や切断作業を支援した。 港区尻無川北通りで溶接材料商社である岩谷直治商店(現岩谷産業)が開業するのは30年5月であったが、同店の隣が帝国酸素の大阪出張所であり、近隣には酸素ガスやカーバイドを取り扱う鉄工所やメッキ工場が密集していた。 1937年の大阪市調査によると、同年末現在で大阪市に所在する機械器具工場8272工場のうち個人組織の工場は7461工場、法人組織の工場は811工場であった。個人組織の工場主7461人のキャリアをみると、「同種工業労務者より独立」が5355人(全体の72%)、「家業継承」が833人(11%)であり、両者合わせて全体の83%に達した。 親方の下で徒弟修業を行い、一人前の職工となった後、独立開業するというのが一般的なコースであり、そうしたスタート・アップを中古機械商、機械工具商、溶接材料商が支援したのである。 ---------- 沢井実(日本経済史、日本経営史) 1978年国際基督教大学教養学部卒業、1983年東京大学大学院経済学研究科第二種博士課程単位取得退学、1998年大阪大学博士(経済学)取得 東京大学社会科学研究所助手、北星学園大学経済学部専任講師、北星学園大学経済学部助教授、大阪大学経済学部助教授、マールブルグ大学Japan-Zentrum客員教授、EHESS(パリ)客員教授、大阪大学大学院経済学研究科教授、2016年から南山大学経営学部教授 主な著作物:『近代日本の研究開発体制』(2012年、名古屋大学出版会)、『近代大阪の産業発展』(2013年、有斐閣)、『マザーマシンの夢』(2013年、名古屋大学出版会)、Economic Activities Under the Japanese Colonial Empire, 2016, Springer Nature(編著)、『日本の技能形成』(2016年、名古屋大学出版会)、『見えない産業』(2017年、名古屋大学出版会)