〈パリ五輪、相次ぐ選手への誹謗中傷〉「批判」も心を傷つける、“軽い投稿”で高い代償リスクを忘れてはならない
パリオリンピック(五輪)は開催まっただ中になる。日本は8月1日までの競技を終えた時点で金メダル獲得数が8個で世界3位タイと、すっかりスポーツ大国の仲間入りを果たした。 4年に一度の大舞台は、アスリートにとって大きな重圧もかかり、ときに残酷な結果を突きつけられることもある。SNS上では、「感動をありがとう」などと共感する人たちがいる一方で、期待に応えられなかったアスリートらに、心ない言葉の暴力を浴びせる誹謗中傷の投稿が後を絶たない。積み重ねた努力が報われず、敗戦を受け止めなければならないアスリートをさらに鞭打つ蛮行は許されない。
阿部詩選手の姿は「見苦しい」のか?
「沢山のサポート、応援ありがとうございました。心の底から感謝の気持ちでいっぱいです!日本代表として、日本という素晴らしい国を背負い戦えたことを誇りに思います。情けない姿を見せてしまい、申し訳ございませんでした(略)」 柔道女子52キロ級で2連覇が懸かっていた日本代表の阿部詩選手(パーク24)は7月30日、自身のインスタグラムでこんな投稿をした。 同28日の競技では、2回戦で世界ランキング1位のディヨラ・ケルディヨロワ選手(ウズベキスタン)に一本負け。直後に畳に突っ伏して大号泣すると、その後もコーチにしがみついて泣き崩れた。冒頭の投稿の背景には、次戦の進行が止まったことや、人間としての未熟さを指摘する声が、SNS上や識者のコメントから挙がったことがあったとみられる。 柔道に限らず、スポーツの世界には、勝っても派手に喜ばず、敗者も結果を粛々と受け止めることが美徳とされる一面が確かにある。阿部詩選手の言動に違和感が生じた人がいたのかもしれないが、それが批判の対象となることには、疑問符が付く。
筆者は2012年から10年以上、新聞社で柔道競技の担当記者だった。この間、阿部詩選手を何度も取材した機会があるが、あれほど乱れた姿を目にしたことがなかった。 阿部詩選手が敗れたのは、19年11月のグランドスラム(GS)大阪大会以来、5年ぶり。兄の一二三選手(パーク24)と兄妹で頂点に立った3年前の東京五輪を含めて無敗で突き進んできた。両肩の手術を乗り越え、圧倒的な強さを携えて再びたどり着いた五輪の舞台で、予期せぬ敗戦に、大会に懸けてきた思いが爆発したのだろう。 はたして、そんな姿は見苦しかったのか。筆者はそうは思わない。 次戦の選手への配慮を問う声もあるだろうが、24歳の大人があそこまで泣けるほど、悔しさがにじむ思いをした人がどれだけいるだろうか。無念さをこらえ、静かに畳を降りたとしたら称賛されたかもしれない。しかし、そうではなかった阿部詩選手が少なくとも、謝罪に追い込まれるほどのことではなかったと考える。