音も光も「波」なのに、なぜ人は「光」は見ることができて「音」を見ることができないのか?
音と光の波長
それでは音と光の波長の長さはどれくらい違うんだろうか。波の場合、 ---------- 速度=波長×周波数 ---------- という関係がある。音の速度は1秒間に約340m。人間の耳に聞こえる音の周波数は20Hzから2万Hz(Hzは1秒間に何回振動するか、という数である)なので、ここでは仮に2000Hzで計算する。その場合、波長は340mを2000で割って、約17cmになる。 じゃあ、光のほうはどうだろう。光の速度は1秒間に約30万km。周波数は可視光でいちばん周波数が小さい赤い光で400テラHzくらい。テラは1秒間に1億回の1万倍振動する大きさなので、波長は30万kmを400と1億と1万で割って、だいたい1000万分の8m、ということになる。 つまり、音と光は波長がおおよそ20万倍くらい違うわけだ。したがって、音にとって幅50cmの隙間は、光にとってはだいたい100万分の2.5mくらいということになる。これはどれくらい小さいかというと細胞の大きさ(0.02mm)の10%くらいの幅ということになる。つまり、光も波と同様に回り込んでいるものの、たかだか細胞の大きさの10%より細いくらいの隙間でないと回り込まない。これではほとんどまっすぐ進んでいると感じても仕方ないのではないだろうか。 「なんて不便なんだ。光も音と同じように回り込んでくれたら楽なのに。そうしたら、部屋から廊下にいる友達の姿を見ることもできるし、コンサートに行ってみんなが立ち上がったら陰になってアイドルの姿が見えなくなったりすることもないのに」 確かにそのとおりだ。光の波長がもっと長かったら、きっと直接見えないものも見えて便利に違いない。 だが、ちょっと待ってほしい。じゃあ、なんでヒトは音を「見る」器官を発達させなかったのだろう? 音も光も波には違いなく、ヒトは波である光を「見る」器官を持っている。 波と言っても光は電場や磁場からなる電磁波で、音は空気の振動だから同じ器官で見ることはできない。耳は音の振動を鼓膜で捉えている。だが、鼓膜で空気の振動を検出できるならそれを使って音を「見る」器官だって作れるだろう。もし、ヒトがそんな感覚器を持っていれば、廊下で話している友人の声から姿を「見る」ことができて便利だったはずなのに。 実は音を「見て」いる動物は存在する。それは蝙蝠(コウモリ)だ。コウモリは暗闇で飛び回りながら同じように飛んでいる昆虫を捕まえるのに、音を使って「見る」器官を発達させた。発達させた、と言ってもそれは普通の聴覚である。みずからが発する超音波が虫にぶつかって跳ね返ってくるのを「聴く」ことで、コウモリは「見る」ことができるのだ。我々が光を反射した物体を目で「見る」ことができるように。 コウモリが使っているのは普通の音ではなく、超音波だ。超音波というのは普通の音よりずっと周波数が高いから、その分波長はずっと短い(波長と周波数の積である速度は同じだから)。波長が短ければ直進性が高く、光のように使って「音を見る」ことが可能になる。 ちなみにコウモリは超音波を「見る」ためだけではなく、会話にも使っている。我々だって視覚を使って文字で意思疎通しているのだから「見る」器官で意思疎通していても別におかしいことはないだろう。 * 【つづき】〈「音を見る生物」「光を聴く生物」は世界に絶対に存在しないのか? 〉では、さらに光と音の不思議に踏み込みます。
田口 善弘(中央大学理工学部教授)