音も光も「波」なのに、なぜ人は「光」は見ることができて「音」を見ることができないのか?
物理に挫折したあなたに――。 読み物形式で、納得! 感動! 興奮! あきらめるのはまだ早い。 大好評につき5刷となった『学び直し高校物理』では、高校物理の教科書に登場するお馴染みのテーマを題材に、物理法則が導き出された「理由」を考えていきます。 【写真】「音を見る生物」「光を聴く生物」は世界に絶対に存在しないのか? 本記事では波動編から、光の直進性についてくわしくみていきます。 ※本記事は田口善弘『学び直し高校物理 挫折者のための超入門』から抜粋・編集したものです。 ---------- 熱も実体がわからない難しい概念だったが、波動はまた別の意味で難しい。一方で、熱とは何かと真顔できかれたら返答に困るだろうが、波動が何かと言われたら即答できるはずだ。波の絵をさらさらっと描いて「これ」と言えばOK。じゃあ、何が難しいのか? それは波動は熱以上に「発生する場所を選ばない」からだ。およそ振動するものならなんでも波動を起こしうるが、この世に振動しないものなど考えられない。つまり、波動とはどこでも起きる一般的な性質なのだ。あまりにも一般的すぎて波動というだけでは何か共通点を見つけるのも難しい。たとえば、音も光も波動だが、この2つに波動だという以外の共通点を見つけるのは結構難しい。 『学び直し高校物理』第4部では同じ波動がなんで場合によって全然違って見えるのかに焦点を当てて説明する。同じだからこそ違って見える、そういうことが理解してもらえるとうれしい。 ----------
なぜ、人は音を見ることができないのか?
「声はすれども姿は見えず」という言葉がある。 もともとは『山家鳥虫歌』の「和泉」の項にあった言葉だそうだ。これは男の訪れを待つ女心のやるせなさを詠ったものだそうで、直接描写されているのは秋の虫で、虫の声は聞こえても姿はなかなか見えないことにたとえている。 そう、声、すなわち音は、音源が見えなくても届く。なぜだろう? この質問は、ごく当たり前のことをきいているように思える。光は光源が直視できなければ見えないが、音は音源が見えなくても伝わる。「音源が見えない」という言い方が、すでに「光は見えるけど、音は見えない」という状況を説明しているのだから、「声はすれども姿は見えず」なのは当たり前じゃないか? ? ? ご存じのとおり、音は波である。波は「ホイヘンスの原理」で伝わると教わったと思う。円形をなして進む波の波面の一点一点(黒い点)が新たな波源になる。そしてそこを中心に発生した小さな円形波(青い円)が重なりあって次の円形波(太い円)を作る。 この原理を、隙間を通り抜ける円形波に適用すると隙間の真正面だけではなく音源が直接見えないところにも伝わることが容易に推察されるだろう。だから、波である音は回り込んで伝わり、光は回り込まないから光源が見えないと光も届かない。わかりやすい。 が、ちょっと待ってくれ。高校では「光も波だ」と習ったような気がする。光の色は波長(周波数)の違いだと習った。波長の長い(周波数の低い)光は色が赤く、波長の短い(周波数の高い)光は色が青い、と。 光も波だ、というなら隙間を通った後、回り込んで伝わらないとおかしくないか。なんで音も光も波なのに、光は回り込まず、音は回り込むんだろう。そのヒントは隙間の幅と波長の関係にある。 いま、波長は変わらないまま、隙間の幅がずっと大きくなった場合を考えよう。隙間からの回り込みがぐっと少なくなることがわかるだろう。 つまり、波であっても隙間の幅が波長に比べて大きいと回り込みが小さくなる。回り込みが小さい、ということは、結局、真正面にしか到達しない=直進性が大きいということになる。