大後寿々花、11歳でハリウッドデビュー。子どもに対する日米の違いに驚き…現場でも「絶対に1日3時間勉強しないといけない」
※大後寿々花プロフィル 1993年8月5日生まれ。神奈川県横浜市出身。2005年、映画『北の零年』に出演。同年、映画『SAYURI』でハリウッドデビュー。2007年、『セクシーボイスアンドロボ』(日本テレビ系)で連続ドラマ初ヒロインを務める。同年、映画『遠くの空に消えた』(行定勲監督)に出演。『シバトラ~童顔刑事・柴田竹虎~』(フジテレビ系)、『お別れホスピタル』(NHK)、映画『カムイ外伝』(崔洋一監督)、映画『“隠れビッチ”やってました。』(三木康一郎監督)など多くのドラマ、映画に出演。2024年6月29日(土)から映画『幽霊はわがままな夢を見る』が公開される。
ハリウッド映画出演で初のアメリカへ
『北の零年』と同じ2005年、大後さんはハリウッド映画『SAYURI』に出演。舞台は昭和初期。幼くして貧しさから置屋に売られた少女・千代(大後寿々花)は、売れっ子の先輩芸者・初桃(コン・リー)にいじめられる毎日を送ることに。そんなある日、優しい言葉をかけてくれた“会長さん”(渡辺謙)と出会い、いつか彼と再会することを夢見て一流の芸者になろうと決意する…という展開。 ――チャン・ツィイーさん演じる主人公の子ども時代という重要な役どころでした。 「当時はハリウッドの重みがあまりよくわかってなくて、今、大人になってようやくわかるという感じです(笑)」 ――オーディションはどんなことをされたのですか。 「当時はいろいろオーディションを受けていたのですが、『SAYURI』のオーディションはセリフが全部英語だったので、英語のレッスンを受けて、動画、ビデオを撮ってアメリカに送ってを何回か繰り返して決まりました」 ――決まる自信はありました? 「いいえ、多分誰も思ってなかったと思います(笑)。というのは、本当に英語がしゃべれないのと、アルファベットも書けなかったので、セリフもとりあえず全部耳で覚える感じで。意味は日本語訳を読む作業をオーディションのとき、最初にやっていました」 ――オーディションから決まるまではどのくらいかかりました? 「結構あったと思います。オーディションを初めて受けたときに、沖縄で別の作品の撮影があって、与那国島に英語の先生がいらっしゃって、沖縄で英語の勉強をしていました。 オーディション自体は奈良橋陽子さんがずっとしてくださっていて、奈良橋さんが立ち上げている英会話のスクールの先生がいらっしゃって。だからもう英語から逃げられないという感じでした(笑)。当時は英語が好きで学びはじめたわけではなかったので、『助けて。わからない、英語わからない』みたいな」 ――オーディションを受けることになった経緯は? 「最初は、奈良橋陽子さんが、その役に合う子がいないか探していて。劇団ひまわりのプロフィルのなかからだったと思います」 ――決まったと聞いたときはどう思いました? 「ビックリしました。決まったと聞いてから、5日後くらいにアメリカに行かなきゃいけなかったんです。だから支度が大変でした。母が一緒に行ってくれたのですが、次々にやることがいっぱいあって。パスポートは持っていたので、すぐに大使館に行って、ビザの手続きをして」 ――初めてのアメリカはいかがでした? 「驚きの連続でした。最初にマクドナルドに入ったんですけど、マックシェイクを頼んだら、日本の一番小さいサイズと向こうの小さいサイズが全然違っていて、3倍ぐらいの大きさのシェイクが来て、そのギャップに驚きました。『子どものご飯はいったいどんな風になっているんだろう?』って思って(笑)」 ――撮影前に英語や演技のレッスンは? 「リハーサル期間が1カ月間ぐらいありましたね。通訳の方がいらっしゃったので、そこは意外と大丈夫でした」 ――日本での撮影と一番違うと思ったことは? 「リハーサルの期間というのは、日本ではあまりないです。1カ月間みっちり、多分朝9時から夕方5時まで全キャストの方がリハーサルしているというのは。本当に学校みたいな感じでした。 踊りの部屋があって、英語の部屋があって…そこで入れ替わり立ち替わりでいろんな役者さんにお会いしてというのは初めてでした。撮影はまったく被ってないんですけど、チャン・ツィイーさんもずっといらっしゃったので」 ――チャン・ツィイーさんのことはご存じでした? 「はい。当時、シャンプーのCMが流れていたので知っていました」 ――劇中では、コン・リーさんにかなりひどくいじめられていましたね。 「でも、実際にはとても優しかったです。中国語で数の数え方を教えてくれたり、中国の巾着とか鏡とか、色々プレゼントしてくださって、すごく優しくしていただいていました」