カローラ陣営 VS シビック陣営のし烈な争い
【国内モータースポーツの隆盛 第12回 量産車の性能で戦う「ハコ」グループAの時代】 【画像16枚】シビック対カローラの対決構図が出来上がり、両者が死闘を繰り広げた ちなみに、このレースでの2,3位はトランピオレビンの2台。最小排気量クラスが表彰台を独占するかたちになったが、逆に言えば、開幕初年とはいえ2クラス、3クラスの戦闘力不足が露呈するシーズンでもあった。 翌86年、1クラスの車両構成に大きな変化が見られた。FRのAE86からFFのAE82(カローラFX)に乗り換えるトヨタ勢が相次いだ。FRより早めにアクセルを開けられることから、混戦の中で有利に走れるという判断に基づくものだった。注目はトムスがAE82により本格参戦を開始したことで、いよいよトヨタの本流が動き始めたという印象を与えていた。 シビック勢は、無限に加えてトランピオチームが3台めの1クラスカーとしてシビックを選択。ほかにもキャビン、ヤマトの参戦によって一大勢力が形成され、カローラ対シビックの対決図式が鮮明になってきた。 レースごとにカローラ勢とシビック勢が順位を入れ替える展開となったが、コンスタントに上位ポイントを稼いだトランピオシビックがこの年のチャンピオンを獲得した。 87年は、無限MOTULシビック(中子修/岡田秀樹)の一人舞台だった。他のシビック勢、トヨタ勢も健闘したが、結果的に無限が6戦全勝という圧倒的な力の差を見せて完全制覇。車種対決は、この年までEATシビック対AE82/86カローラだった。 翌88年、カローラ/シビックともモデルチェンジを受け、カローラはAE92、シビックはEF3(ZC型)に進化。両陣営の争いは激化の一途をたどり、相変わらず無限MOTULシビックが脅威となっていた。 この年は全6戦中シビックが5勝(無限2勝、中嶋企画2勝、トランピオ1勝)、残る1勝がトムスレビンで、ポイントの取りこぼしがなかった無限(中子/岡田)が2年連続でタイトルを獲得。トヨタ勢は押され気味だった。 初出:ハチマルヒーロー 2016年11月号 Vol.38 (記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
Nosweb 編集部