聖地になるはずが…アントニオ猪木が死の4ヵ月前、青森の山中に建てた「もうひとつの墓」はいま…
生前、自ら建てた墓
「八甲田山の静かな温泉地にアントニオ猪木の墓があり、観光スポットになっているんですよ。この時期の八甲田山周辺は雪が残っているので、墓までたどり着けるかわかりませんが…」(青森市内で会社を経営する男性) 【写真】雪の中にたたずむ…特徴的なデザインの墓石 2022年10月1日に79歳で亡くなったアントニオ猪木が生前、自ら建てた墓が青森県十和田市にあるという。 猪木の墓といえば、13歳のときに一家でブラジルに移住するまで住んでいた横浜市鶴見区にあることで知られている。 曹洞宗の大本山である總持寺。広大な寺院の一角にある「猪木家の墓」には猪木さんのブロンズ像も設置されており、一周忌の命日には1000人もの関係者やファンが墓参りに訪れた。 しかし、これとは別に、もうひとつ猪木の墓があるというのだ。青森県十和田市。青森県の奥座敷、南八甲田山の中腹にひっそりとたたずむ蔦温泉旅館近くの小さな墓地にある「アントニオ猪木家の墓」がそれだ。 東京からは遠く離れた場所だが、こちらも聖地と化しており、一周忌には全国から150人以上のファンが訪れたという。 プロレス界最大のスーパースターはなぜ青森に墓を建てたのか。いったいどんな墓なのか。現地を訪ねた。
千年の秘湯
青森市の中心部から約40km。道の両脇に5m以上の雪の壁がそびえる「八甲田・十和田ゴールドライン」(国道103号)を1時間ほど走ると、風情ある蔦温泉旅館にようやく到着した。 訪問したのは4月上旬。冬季の休館を終え、4月17日からの営業再開に向けて作業する従業員によれば、「墓への道中は除雪していないので、普通の靴ではたどり着けないと思います」という。 墓があるのは、国道103号線を挟んだ旅館の反対側にある雑木林の奥だ。旅館の入口を出て国道を少し歩くと、「アントニオ猪木家の墓」と書かれた石碑が目に入る。 奥には舗装されていない道が続くが、雪がかなり積もっており、「本当にこの道でいいのか」と不安になる。しかし、猪木といえば、「迷わず行けよ。行けばわかるさ」である。 深い雪道を進み、急勾配の階段と思われる坂道をのぼっていく。すると、お墓が並ぶ一角が現れた。 正面には蔦温泉旅館を愛したという明治大正期の文豪、大町桂月の墓。その隣には、十和田開発に貢献した地元の偉人の記念碑。一番奥にあるのが「アントニオ猪木家の墓」だ。