Aile The Shotaが作品とともに語る、デビューから3年間の軌跡、音楽性の追求
EP4部作は、僕の中で「REAL」との向き合い方に納得するために必要だったもの
―そして4th EP『Epilogue』(2023年12月リリース)。J-POPSTARというAile The Shotaの目指す像を説明する大事な言葉が生まれた「J-POPSTAR」や、初のアニメ主題歌「No Frontier」が入っている一枚です。 もともと4部作にすることを決めていて、『Epilogue』を作っている時は序章を終わらせるものになると思ってたから、僕の中で一個答えを出さなきゃいけないタイミングで。この制作中の2023年夏に「踊りませんか?」ができたんですけど、これは第1章を始めるための曲にしようと思ったんですよね。『Epilogue』では、カルチャーを牽引するVLOTのトラックであえて「J-POPSTAR」と歌う姿勢とか、「Epilogue」で音楽で誰かの人生を救うことへの覚悟を見せることができたし、ポップシーンを牽引してるRyosuke “Dr.R” Sakaiさんと「No Frontier」を作れて、しかも「Pandora」みたいな武器を自分の中に入れることができて。「Pandora」は結局、ライブにおいてとんでもない武器になってると思います。「No Frontier」は今、ライブで封印してるんですよね。 ―それはなんでですか? あれはフルバンドでやりたくて。俺の中で、あの曲は規模がデカいんですよね。めっちゃ気に入ってるからこそ、フルポテンシャルでフロアに届けたいという気持ちがあります。 ―うわあ、なるほど。それは楽しみです。 EP4部作は、僕の中で「REAL」との向き合い方に納得するために必要だったもので、なんなら「REAL」であることに執着してきた3年間だったなと思います。その途中の「踊りませんか?」の制作中に、Chaki(Zulu)さんからAile The Shotaが向ける矢印は「POP」であるということに気づかされて。 ―Chakiさんから「ポップができる人はポップをやろう」という言葉をもらって。 「ポップになった上でのアンダーグラウンドシーンへのアプローチがいいと思う」という話とかも、腑に落ちた。だからこういうアルバムを作れるようになったきっかけは、確実に「踊りませんか?」ですね。 ―そしてアルバムにいく前に、5th EP『omen』(2024年4月リリース)が入ります。オーガナイズイベント『PANDORA』に向けて出した作品ですけど、結果的に、アルバムに入る「NEBULA」とか大事な曲も生まれていて。 Maddy Somaと曲(「new blood」)を作るとか、「hungover feat. Kenya Fujita」みたいなR&Bの側面を見せることとか、よりカルチャーっぽいことをやれたEPで。“eggman”(Aile The Shotaの原点の場所)と歌ったり、どのシーンにいたのか、何を「本質的」と言ってるのか、自分の「REAL」の説明は『omen』がしてくれているなと思います。それに向き合いながらも、「NEBULA」みたいな曲ができてしまった。今後の自分の説明とか、“変わらないため 変わっていく”という姿勢とか、BMSGやSKY-HI、BE:FIRSTへの矢印とかは全部「NEBULA」に込めています。一番「REAL」なEPは『omen』かもしれない。これは今後また新たに動くもののきっかけになると思います。 ―何か企んでますか……? 『REAL POP』を出したあと、Aile The Shotaとしての活動と、オーガナイザーとしての動き(来年1月開催『D.U.N.K. Showcase』の一部もオーガナイザーとして関わることを発表)と、ダンスクルーのプロデューサーと……まだ解禁してない、一番デカい側面があるんですけど(笑)。改めて、自分のいろんな側面を説明するための5枚だったなと思います。5枚作ったから「Aile The Shotaとは、本質的で大衆的である」「それが『REAL POP』だ」という説明ができるようになりました。『REAL POP』は、名刺みたいなタイトルですね。一言で説明できるものができたので、今めっちゃ楽です。 ―ここまでしっかり語ってくれた上で、さらに言葉にしてもらいたいなと思うんですけど、Aile The Shotaにとって「REAL」「本質的」とは何なのか、これを読んでる人に伝えるならなんて言いますか? 大衆に媚びない。自分自身が好きな自分でいることを怠らない。深いところまで掘り下げることを怠らない。迎合しない。「求められているから」というきっかけで物事を作らない。理由や意義に向き合い続ける。踊りのひとつをとっても「このダンスはどこからきたのか」とかを知ることを怠らない。本当、いろんな意味があるんですけど、あえて説明をつけるとそういうことかな。具体的に言うなら、「踊りませんか?」を、「ポップソングだからドラムを軽くしましょう」ではなく、あのキックの鳴りでこそ踊れると思ってるから、その音像のまま大衆的なメロディを乗せる、とか。もともと俺は大衆的なメロディをポップだと思って育ってきているから、自分が好きな「大衆的」をやり続ければいいということに気づいたんですよね。だから結局「本質的で大衆的である」ということは、好きなことを純度100でやるだけなんだと思います。 ―つまり「REAL POP」の「REAL」には、自分の人生に嘘をつかないという意味での「リアル」もある、というふうにも言えますか? そう。「REAL」の中には2個意味があって、「本質的」と「嘘がない」。嘘、つきたくないんですよねえ。嫌いなものを好きって言えないタイプ(笑)。 ―「REALなPOP」って、大胆なワードだなとも思ったんです。ポップスを「本物」「偽物」と呼ぶのか、みたいなふうにも捉えられちゃうじゃないですか。 他を「フェイク」としているのではなくて。俺の中で大事なのが「REAL」でいることだから。でもなんなら「これがREALなPOPだぞ」って言いたい気持ちもあるんですけど(笑)。 ―もちろん、アーティストとして作品を出す上でその自信も確信も大事だから。 ポップなメロディというものは深いし、まだまだ到達できてないと思う。もっといいメロディは絶対にあると思いながら、でも出だしとしては満足です、という感じかな。