本音と向き合う辛さを描く…人間の“汚い部分”も浮き彫りにした『海のはじまり』が伝えたかったことは? 考察&評価
本作が伝えたかったメッセージ
「ママが死んだ日も、おにぎり食べたの。海ちゃんがいるから。生きなきゃいけないから」 朱音の言葉に、本作が伝えたかったメッセージが込められていたように感じる。 人生って、ときに苦しくて、というか苦しいことの方が多くて、幸せを感じる瞬間の方が少なかったりする。どん底にいるときは、「苦しみがないと、幸せを感じられないからね」なんて励まされても、「そんなポジティブに考えられるなら悩んでないわ!」と思ってしまったり。 でも、どん底にいるときでも、ちゃんとごはんを食べようと思った。辛くてしんどくてどうしようもないときは、行儀が悪くてもいい。横になりながらでもいいから、生きていくためにごはんを食べる。 生きていくために…と思えないときは、「娘が自分より先に死ぬことを想像してみて。わたしたちはね、娘の遺影を選んだの。それがどれだけ辛いか」と言いながら、涙を浮かべていた朱音の姿を思い出して、どうにか踏ん張ってみる。 親がすでに他界している人は、水季が亡くなって苦しんでいる津野の、海の、そして夏の顔を思い出してほしい。
選んだ道を正解にしていける力があれば
脚本の生方は、自身の連載で、「(『海のはじまり』で)明確に伝えたいことはふたつだけです。ひとつは、がん検診に行ってほしいということ。すべての人が受診できる・受診しやすい環境が整ってほしいです。もうひとつは、避妊具の避妊率は100%ではないということです」と語っていた。夏を演じた目黒蓮も、自身のInstagramに「#人間ドック行こう」と綴っている。 このドラマを通して感じたのは、生きていくのって自分のためだけじゃないということ。自分のために…というだけだと脆いかもしれないから、自分を大切に想ってくれている人たちのために、命を大切にしてほしい。 生きているということは、誰しも必ず終わりがやってくる。いつ生まれたのか覚えていないのと同じで、死ぬ瞬間もきっとそんな感じなのだろう。「始まりは曖昧で、終わりはきっとない」。でも、「いつかいなくなっても、一緒にいたことが幸せだったと思えるように」。いま、生きている奇跡を抱きしめながら、まわりにいる人に精一杯の愛を注いでいきたいと思う。 そして、“いつか誰かをどうにか幸せにしたいと願う日”が海にやってきたとき、夏が笑って頷いて「もうじゅうぶんだ」と思えていたらいい。今もまだどの選択が正しかったのかは分からない。でも、きっと大丈夫。夏は、選んだ道を正解にしていける力がある人だと思うから。 【著者プロフィール:菜本かな】 メディア学科卒のライター。19歳の頃から109ブランドにてアパレル店員を経験。大学時代は学生記者としての活動を行っていた。エンタメとファッションが大好き。
菜本かな