沢村賞の選考基準問題「先発完投10以上」「中6日は甘い」苦言が常態化してるが…過去42年の「項目達成数」を比べると時代錯誤なのでは
2024年の沢村賞は「該当者なし」となった。先発投手の役割と考え方が急速に変化する中で、成績などから見た選考基準について考察する。〈全2回〉 【貴重写真】「わ、わかい…」由伸18歳、高校の制服姿がカワイイ。大谷17歳、細いのに甲子園で衝撃の特大HR。ガリガリな柳田、ヤンチャそうな学ラン姿の張本…名選手160人超の高校時代を見る
該当者なしの沢村賞…そもそもどんな成り立ち?
予想されたことではあったが、今季の沢村賞は「該当者なし」になった。 沢村賞選考委員会の堀内恒夫委員長は「たくさんの選手の名が挙がったが、帯に短し襷に長し、あちらを立てればこちらが立たぬ、ということで一本化することができなかった」と語った。 とはいえ、かなり前から「沢村賞」は無理をして受賞者を決めてきた印象がある。今季の該当者なしにも驚きはない。 「沢村賞(正式には沢村栄治賞)」は「日本のサイ・ヤング賞」と紹介されることが多い。ともにシーズンで一番活躍した投手に与えられるが、サイ・ヤング賞がその名前の謂れとなった511勝を挙げた大投手、サイ・ヤングが没した翌年の1956年に始まったのに対して、沢村賞は9年も早い1947年に創設されている。またサイ・ヤング賞は第2回で後述するように、選考基準を変化させている。 当初はセ・リーグだけの賞だった。だから稲尾和久や杉浦忠、鈴木啓示、山田久志、東尾修などは受賞していない。1989年からようやくセ・パ両リーグの投手が受賞対象になった。しかしサイ・ヤング賞がア・ナ両リーグで1人ずつ選出されるのに対し、沢村賞は基本的に両リーグで1人だけである。 沢村栄治(1917-44)はプロ野球草創期に巨人軍のエースとして、ベーブ・ルースなどメジャーリーガーを相手に快投を演じた伝説の投手である。日本プロ野球の最初と2番目のノーヒットノーランを記録した選手であり、最多勝2回、最多奪三振2回、防御率1位1回と大活躍したが、応召し、1944年12月2日に乗っていた輸送船が潜水艦の攻撃を受けて沈没し、戦死した。
「先発完投を」「中6日は甘い」苦言が常態化しているが
日本プロ野球の象徴的な大投手であり、戦争の悲劇に巻き込まれたことから「野球ができる平和な時代」を象徴する伝説の投手だ。その名前を冠した沢村賞は、ただのアワードではなく、日本野球の真髄である「エースを中心に守り勝つ」野球を象徴しているともいえよう。 だから軽々に中身を変えたくないというのは理解できる。ただ昨今の沢村賞選考は、発表の場で選考の委員から「もっと先発完投を目指せ」「中6日は甘すぎる」など苦言を呈されることが常態化している。 しかし、沢村賞が制定された1947年から77年も経って、野球は劇的に変化している。昔の基準に合わないからともっと頑張れ、と言われてもそもそも「がんばる方向性」が異なっているのだから、どうしようもない。