何でもアリのバトルロイヤルだった、かつてのパリダカレーサーとそのレプリカ──各社各様のアドベンチャーツアラー【ライター中村友彦の旧車雑感 Vol.5】
現代のADVツアラーの礎となったパリダカ・レプリカ
1980年代中盤~1990年代前半のパリダカールラリーには、数多くのファクトリーチームが参戦していた。そしていずれのメーカーもレースで培った技術を還元する形で、各社各様のパリダカレプリカを販売していたのだ。 【写真】アフリカツインを取り巻く1980年代のビッグアドベンチャーたち
6つのメーカーがファクトリー参戦
──【1986 HONDA NXR】ファクトリーレーサーとしてすべてを専用設計したホンダNXRは、1986~1989年に4連覇を達成。ロスマンズカラーの1986年型でNXRに初の栄冠をもたらしたのは、ヤマハXT500で1979/1980年、ホンダXR500で1982年に優勝を飾ったシリル・ヌブー。 最近のYouTubeには、往年のパリダカールラリーの動画が数多くアップされていて、それらを鑑賞した筆者は、やっぱり昔のパリダカはムチャクチャ面白いなあ……と感じている。もっとも、近年のダカールラリーがつまらないわけではない。とはいえ、車両規定が大らかなプロトタイプクラスが存在し、誤解を恐れずに言うなら、何でもアリのバトルロイヤルだったかつてのパリダカは、近年のダカールラリーより特別感が強かったように思う。 ──【1984 BMW】1980年からR80G/Sの発売を開始したBMWにとって、パリダカはフラットツインの走破性を証明する格好の舞台だった。写真は1984/1985年に優勝を飾ったガストン・ライエ。 中でも、筆者がパリダカの黄金時代と勝手に認識しているのは、6つのメーカーがファクトリーマシンを投入した1980年代中盤~1990年代初頭だ。何と言っても、450cc以下の単気筒のみとなった近年とは異なり、当時のエンジンは思いっ切り各社各様だったのだから。改めて考えると、国際格式であんなにもバラエティに富んだ車両が参戦していたレースは、他に存在しないのかもしれない。
とてつもなくバラエティに富んだエンジン
──【1987 YAMAHA YZE920】FZ750がベースの並列4気筒を搭載するYZE920を駆るのは、フランスのソノートヤマハの重役で、ライダーとしての技量も一流だったジャン・クロード・オリビエ。 黎明期のパリダカールラリーで強さを発揮したのは、ヤマハとBMWだった。1982年に初優勝を飾ったホンダもなかなかの存在感を発揮していたが、第1回大会の1979年と1980年はヤマハが制し、1981年に初の栄冠を獲得したBMWは、1983~1985年に3連覇を達成している。ちなみに、当初のパリダカはフランスのチームが主役を務め、本社はサポートに徹していたようだけれど、1980年中盤以降は、BMW、ドゥカティを傘下に収めていたカジバ、ホンダ、モトグッツィ、ヤマハ、スズキが、本格的なファクトリー参戦を開始。そして当時の各社が、どんなエンジンを使用していたのかと言うと……。 ──【1991 YAMAHA YZE750T】1990年以降のヤマハがパリダカに投入した並列2気筒レーサーは、1991~1993年に3連覇、1995~1998年には4連覇を達成。写真は同社にとって10年ぶりの優勝を飾った1991年型。 まずヨーロッパ勢は自社の代表作、BMWは空冷OHV2バルブフラットツイン、カジバはドゥカティ・パンタ系の空冷デスモOHC2バルブ90度Vツイン、モトグッツィは空冷OHV2バルブ縦置き90度Vツイン(スモールブロック)である。一方の日本勢は、ホンダが水冷OHC4バルブ45度Vツイン(と空冷OHC4バルブ単気筒)、スズキが油冷OHC4バルブ単気筒で、ヤマハは空冷OHC2/4バルブ単気筒→水冷DOHC5バルブ並列4気筒→水冷OHC5バルブ単気筒を経て、1990年以降は水冷DOHC5バルブ並列2気筒に注力することとなった。 ──【1998 BMW R100GS Paris Dakar】R100GSの特別仕様として、BMWが1988年から発売を開始したパリダカールは、レースの技術を転用する形で、フレームマウントのフェアリングや頑強なエンジンガード、容量34Lのビッグタンクなどを導入。 いずれにしても1980年代中盤~1990年代初頭のパリダカは、とてつもなくバラエティに富んでいたのだ。そしてもちろん、各メーカーはパリダカで培ったノウハウを市販車に還元。以下に紹介する6台はパリダカと密接な関係を持つ車両で、当時はビッグオフローダー、デュアルパーパスなどと呼ばれていたものの、現代の視点で考えれば、どの車両もアドベンチャーツアラーである。