「お前らで客にハメろ」…バブル崩壊前夜! 野村證券の株式部長Kが持ってきた“腐れ玉”案件とは?
日本の金融界の文化と歴史あるウォールストリートの文化
バブルが崩壊して株価が暴落するまで大量発行された転換社債・ワラント債は簡単に売りさばけるよう、理論価格に対してとんでもなく割安な値付けになっていました。 難しい話なのでこう考えてください。例えば、シャープの株価が1000円だったとします。新株を700円で発行しますが、この新株は5年後にしか売れません。当然、ヘッジファンド(裁定業者)はその割安な新株を買って、同じ株数の株券を借りてきて1000円で空売ります。 5年後に新株を借株の返済に充てれば300円の儲けになります。最初に買った新株を基準に考えればレバレッジ1倍で300/700=43%の儲けになります。年率で7.4%の儲けです(借株コストが年率1%なら6.4%の儲けとなります)。 これはほぼ確実に儲かるトレードなので、通常、裁定業者は借金をして大きいポジションを取ってリターンを上げます。自己資金100に対して借り入れ400で、500のポジションを取ればレバレッジ5倍です。金利を4%と置いても7.4%×5-4%×4=21.0%の年率リターンになります(借株コストが年率1%なら16.0%の年率リターンです)。 米国では、この転換社債と普通株式の裁定取引は以前より行われていました。しかし、あまりにも簡単な裁定取引のため儲けのチャンスがなくなっていました。そこに超割安な日本の転換社債・ワラント債という巨大な市場が忽然と姿を現したのです。裁定取引を得意とする米国のヘッジファンドはこのチャンスに飛びつきました。 ここで問題になるのが「借株」です。先ほどの例では、シャープの借株が適正な借株料金で5年間維持できなければ成功しません。そこで米国のヘッジファンドは、血眼で日本株の借株のソース探しを始めました。 しかし、海外での日本株の借株は困難を極めます。日本株がバブルになっていたおかげで外国人投資家の日本株保有比率が低下していたことも海外市場における借株を難しくしていました。 これさえ何とかすれば大きな商売につながるとわかった私は、本社の金融法人部と話を付け、生保の持っている株の一部を米国のヘッジファンドに貸し出すビジネスを始めました。裁定取引をやっているヘッジファンドを訪問すると当然のことながら大歓迎され、すぐに客になってくれます。 こうして数社のヘッジファンドと付き合い始めましたが、その中で忘れられない出来事があります。日本の転換社債・ワラント債の裁定取引が本業になっていたヘッジファンド「プリンストン・ニューポート・パートナーズ(以下PNP)」との出来事です。PNPは貸株を通じて野村NYの上顧客の一つとなっていました。 ところが、ある日FBIに踏み込まれ、幹部全員が逮捕されます。罪状は実質「引け値操作」でしたが、当時できたばかりの「RICO(犯罪組織のフロント企業の摘発のための法律)」が適用されました。 野村NYは貸している株の一括返済を問答無用で求めました。しかし、そんなことをすればPNPはロングの転換社債・ワラント債を投げ売って、普通株を買い戻さないといけなくなります。PNPのレバレッジは4倍であり、もし野村NY以外の株の貸手も手を引いたらPNPは破綻してしまうでしょう。私は野村NYの行為がどれだけ彼らにダメージをもたらすのかを心配していました。 ところが、彼らは野村NYの株券の返還要請にすんなり応じます。ゴールドマン・サックス証券(以下GS)が全部肩代わりしたのです。GSがどういう経緯でそのような判断をしたかはわかりません。でも、これが私とGSとの最初のかかわりになりました。 裁判は長引きましたが、結局全員ほぼ無罪(引け値操作の微罪では有罪とはなりましたが)。有罪になったわけでもないのに逮捕されたというだけで村八分扱いしてしまう日本の金融界の文化と歴史あるウォールストリートの文化はずいぶん深みが違うなあ、と感じました。 清原氏写真/書籍『我が投資術』より その他写真/shutterstock
---------- 清原達郎(きよはら たつろう) 1981年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業。同年、野村證券に入社、海外投資顧問室に配属。スタンフォード大学で経営学修士号(MBA)取得後、86年に野村證券NY支店に配属。91年、ゴールドマン・サックス証券東京支店に転職。その後モルガン・スタンレー証券、スパークス投資顧問を経て、98年、タワー投資顧問で基幹ファンド「タワーK1ファンド」をローンチ。2005年に発表された最後の高額納税者名簿(長者番付)で全国トップに躍り出る。23年、「タワーK1ファンド」の運用を終了し、退社。本書ははじめての著書である。 ----------
清原達郎