早大恩師が証言。巨人のドラ2重信は伝説の青い稲妻より速い!
「重信は、迷ってましたね」 昨年、8年ぶりに東京六大学野球で春秋連覇を果たした早稲田大学。2014年まで鳴門工業高(鳴門渦潮高)の野球部監督を34年に渡って務め、昨年1月1日付で母校の監督に就任した高橋広は、リードオフマンの悩みを知っていた。 昨年11月28日、愛媛県松山市内のホテルで、2014年9月2日に他界された上甲正典監督(宇和島東高、済美高)を「偲ぶ会」が行われ、その際にお会いし様々な話を伺ったが、意外にも10月のプロ野球ドラフト会議で、読売ジャイアンツからドラフト2位で指名された重信慎之介は一時、就職を意識していたそうだ。 「プロプロって、言う子もいますけど、彼は決してそうではなかった」 名門・佐倉リトルシニアから、早稲田実業へ。2年の夏(2010)には甲子園に出場し、早稲田大学へ進学すると、2年生時の外野転向が転機となって、出場機会が増えた重信。3年秋には.404(2位)の打率を残し、ベストナインに選ばれると、プロにも注目される選手となったわけだが、本人はどこか複雑だった。 20~30人は座れる、まるで会議室のような「上甲監督を偲ぶ会」の控え室で向き合った高橋監督は、「彼は、英語が出来るんですよ」と言った後、重信の具体的な目標をこう明かした。 「海外の駐在員になりたい。駐在員になれるような企業に行きたい、とのことでした」 自分が海外で働く自分の姿をイメージし、野球に打ち込む傍ら、大学時代は英語の勉強に力を入れた重信は、英会話が出来るまでに語学力を高めていった。 「ドラフトされるような選手が、英会話ができるって、あまり聞かないですよね」と高橋監督。野球と学業を見事に両立させた驚きが込められていたが、悩んだ末、重信はプロ入りを選択。その決断は間違っていなかった、プロでも通用すると、高橋監督は確信を持つ。特に足。そのスピードは、往年のスピードランナーを勝るそうだ。 「僕は、ジャイアンツの松本と同期(早稲田大時代)だったんですけど、短い距離のスピードなら、重信の方が速い」 “ジャイアンツの松本”とは、早稲田大学から1976年のドラフト会議でジャイアンツから5位で指名された松本匡史氏。1982、1983年には、61、76盗塁をマークし、2年連続でセ・リーグの盗塁王にもなった。重信の足は、その大学時代の同期で、プロでは快足で鳴らした松本氏をも上回ると、高橋の目には映る。似たタイプとしては、「福本さん」と、通算盗塁数でプロ野球記録を持つ福本豊氏(解説者)の名前を挙げ、重信のポテンシャルの高さをほのめかした。