正しさを忘れた渋沢栄一etc.「新紙幣の偉人たち」知られざる“やばい”一面とは
渋沢栄一の“やばい”エピソード バレバレの居留守で悪事をごまかし正しさを忘れる
『論語』に書かれた「道徳の心」を大事にしていた渋沢栄一。 でも、「恋の道徳」は守れませんでした。栄一が「一友人」とごまかして付き合っていた相手は、芸者や渋沢家の女中など数えきれないほど。年齢を重ねても浮気は止まらず、68才で浮気相手との間に子どもができたときは「いや、お恥ずかしい……若気の至りで」という微妙なギャグをかましていたそうです。 明治中期のある日、栄一が社長をつとめていた会社でトラブルが起き、部下の専務は栄一を探しました。しかし自宅にもおらず、夜になっても帰らないので、専務は「もしかして……」と、栄一の浮気相手の家に行きました。すると家の奥から「“こんなところに渋沢がおるべき道理はありません。ご用がおありなら、明日の朝に自宅をおたずねになったらよろしい”と言いなさい」と、明らかに栄一の声で「居留守を使え」と指示しているのが聞こえてくるではありませんか! 専務は笑いをこらえるのが大変でした。 専務からすれば、これは「おちゃめな栄一の笑える浮気話」ですみますが、栄一の妻にとっては一生の苦痛でした。「論語とはうまいものをみつけなさったよ。あれが聖書だったら、てんで守れっこないものね」と妻は子どもたちによくグチをこぼしていたそうです。
津田梅子の“すごい”エピソード 6才でアメリカ留学し女性が自立するための学校を作る
海外事情にくわしかった父のすすめで、わずか6才の津田梅子は4人の少女とアメリカへ渡りました。日本人女性初の留学生です。 梅子はアメリカ人夫妻にかわいがられながら国際人として多くを学び、18才で帰国。日本で英語の教師になると、日本が欧米に比べて「男尊女卑」で、女性の地位も教育レベルも男性より低いことにショックを受けます。 そこで「日本にも女性が職について自立するための学校を作ろう!」と国内外の友人たちに寄付を呼びかけ、35才のとき、のちに津田塾大学となる女子英学塾を作りました。梅子の授業は厳しいことで有名でしたが、卒業生の多くが教育者となったことで、全国の女性が高い教育を受け自立できる環境ができたのです。