『君が心をくれたから』は珍しいタイプの作品に 永野芽郁主演『半分、青い。』ともリンク
1月8日にスタートしたフジテレビ系「月9」ドラマ『君が心をくれたから』。月9では昨年夏クールにトレンディドラマの雰囲気を継承した青春群像劇があったとはいえ、今作のような1組のカップルに実直にフォーカスするラブストーリーは久しぶりであり、そこにファンタジー性も介在するとなればなおさら珍しいタイプの作品にも思える。とはいえ第1話はあくまでも物語の導入。2013年と2023年、ふたつの時代を交差させながら、終盤まではシンプルな青春ラブストーリーの様相を保ち続けるのである。 【写真】太陽(山田裕貴)と話す雨(永野芽郁) 2013年。高校1年生の逢原雨(永野芽郁)は周囲から“ザー子”と呼ばれたり、幼少期に母親から虐待を受けていたトラウマから自分に自信が持てず、孤独な学生生活を送っていた。ある時、そんな雨に声を掛けてきたのが、老舗煙火店の息子で周囲から“ピーカン”と呼ばれている朝野太陽(山田裕貴)。“友人”として心を通わせていく2人は、10年後に雨がパティシエに、太陽が花火師になることを約束。そして2023年、夢に破れた雨が長崎に帰ってくる頃、太陽もまた花火師になる夢を諦めようとしていた。 雨と太陽、相反するものの名が付けられた2人が高校の昇降口で雨宿りをするようにして出会うシーンからは、永野の代表作である『半分、青い。』(NHK総合)の第1話を思い出した。こうした10年前の高校時代の記憶が、単に甘酸っぱい青春の思い出として主人公たちに甘々と寄り添い続けるのではなく、当時交わされた“約束”が知らず知らずのうちに足枷のように自分を締め付ける苦味として作用するのは、“現在”の2人を描く物語として大正解といえよう。 さて、冒頭から大浦天主堂を背景にして、大雨が降りしきるなかを歩く日下(斎藤工)の姿で始まったわけだが(この日下、“あの世”からの案内人という設定を含め、どことなく『Sweet Rain 死神の精度』の金城武を思い起こさせる)、まず触れるべきは“長崎”というロケーションについてだ。長崎を舞台にして、とにかく雨がよく降る。これはやはり、内山田洋とクール・ファイブの「長崎は今日も雨だった」から連想した長崎の街のイメージなのだろう。 高校時代の雨と太陽が相合傘でたどり着く崇福寺駅や、2人が約束を交わす重要な場所となる水辺の森公園。2023年に長崎に戻ってきた雨が司(白州迅)と出会うグラバー通りに、祈念坂や眼鏡橋、新地中華街も出てくるなど、要所要所に長崎を象徴する観光スポットが登場する。映像として“映える”撮影場所を選択した結果、その場所を知っている人に空間的な違和感を与えてしまう点は、舞台設定が明確化された作品に共通しているもので仕方あるまい。もっとも、お盆でもないのに墓参りに爆竹を持っていくくだりや、登場人物が長袖を着ている季節に精霊流しが行われている点も、“長崎らしさ”を押し出すねらいならば許容できる。 なにより爆竹というアイテムは、2023年から2024年に切り替わる瞬間に雨と太陽が再会するうえで重要な役割を果たすわけで、破裂する爆竹越しに2人が見つめ合う構図は、さながら『寝ても覚めても』の鮮烈な出会いのシーンを想起させられるものがある。ここでもまた、群衆のなかで爆竹を破裂させる行為や、辺鄙な場所から高速バスが出発する点が妙に気にかかるのだが、背景に打ち上がる花火がそうした懸念を吹き飛ばす。それだけの美しいシーンになっていることは間違いない。 このまま過去を振り切って新たな約束と共に歩む2人の正直なラブストーリーを観ていたいが、終盤で太陽が事故に遭う一連からドラマは一気にファンタジーへと転じる。太陽の抱える“赤”が判別できない色覚異常という設定は、この第1話では彼が花火師を諦める口実と信号機を見間違えることにしか機能していないが、今後どのように効果的に扱われていくのだろうか。よくよく観返してみれば、傘にはじまり服装やバス、ストローに至るまで作中には随所に“赤”が散りばめられている。こうした点に松山博昭による演出の確かさが窺え、次話以降にも期待ができそうだ。
久保田和馬