「部屋を見回しても美穂の姿が見当たらず…」 中山美穂さんの事務所社長らが明かす発見時の様子と、デビュー当時の純朴な素顔
複雑な生い立ち
主役を演じた恋愛映画「Love Letter」(1995年、岩井俊二監督)がアジア圏で人気を博した彼女の訃報は、中国や韓国でも大きく取り上げられた。 生まれは70年3月1日、長野県。生い立ちは複雑で、幼少期に両親が離婚。母親に伴われて3歳のとき、まだ生後間もない妹の忍(51)とともに上京した。一時期までは都内の伯母夫妻の元に身を寄せる生活を送ったという。 中山さん自身、2009年に刊行したエッセイで、こんなふうにつづっている。 〈母子手帳には母の名前しかなかった。戸籍などを見ても現実と同じように実父の名前はない〉 〈母は実父のことに関して、私が幼いころに一度だけ、亡くなってしまった、と言ったきりなにも教えてはくれませんでした。(中略)年月がたち、パリに来てくれた母が、これまでいっさい話してくれることのなかった私の父親のことを初めて少しだけ語ってくれました〉 小4の時分に母親が再婚し、小中学校時代に数度、転校も経験している。
「初回放送前日、“見てくれますかね”と心配していた」
芸能界入りのきっかけは、中1の春、原宿でスカウトされてモデルとなったこと。 転機は中3の3学期に訪れた。85年1月8日、TBS系ドラマ「毎度おさわがせします」のツッパリ少女・のどか役で女優デビューを果たしたのだ。 中山さんの初代マネージャーでビッグアップル創業メンバーの一人、岡嶋康博氏が述懐する。 「作品は思春期の性をテーマにしたホームコメディードラマでした。初回放送の前日、彼女が“見てくれますかね”と心配していたのを覚えています。初回放送後、二人で街を歩いていると“あれ、のどかじゃないの”という女子中高生の声が聞こえてきて、私たちは驚きました。そんなに反響があるなんて、思ってもいなかったのです」
「澄んだ声をしていて、歌唱力にも恵まれていた」
中山さんの古くからの知人が明かす。 「彼女は『毎度~』の頃、共演者だったジャニーズ事務所のあるタレントにぞっこんでね。夜中ずっと電話するものだから、電話代は一晩でかなりかさんだようです」 ドラマ初出演と同じ85年、歌手デビューも果たした。 キングレコードOBの福住朗氏の話。その才を見いだした人である。 「事務所からの推薦を受け、面談を経て弊社スタジオで歌のテストを受けてもらいました。中森明菜の『スローモーション』が好きだと言うので歌ってもらったのですが、当時から表情がどこか大人びていた。また、声も良かったですね。澄んだ声をしていて、歌唱力にも恵まれていました」 昭和歌謡に強かったキングレコードの社内では、彼女を売り出すことに反対の声も上がったという。が、「毎度~」で人気に火がついて、歌の面でもチャンスを得た。結果、 「レギュラー出演2作目の『夏・体験物語』の主題歌を任されたのです」(同) 作詞・松本隆、作曲・筒美京平のゴールデンコンビによる「C」である。