意外と知らない古代史ワードを解説! 「正倉院」とは一体どんな建築物か?
正倉院展が今年も開催されている。なんとなく知っているけれど、そもそも正倉院ってなんだろう? という人も多いかもしれない。現代に天平文化の精華を伝える貴重な宝物を守り続けた正倉院について、解説しよう。 ■そもそも「正倉院」とはどのような建築物なのか 東大寺に今も存在する正倉院とはどういうものなのでしょう?ここでいったん整理しておきましょう。そもそも「正倉(しょうそう)」というのは、奈良時代の公的な倉庫の一般名詞で、各地にあったものです。 「正倉院」の「院」とは、寺院などの場所や区域を指すことばで、「正倉のある寺域」という全くの一般名詞なのです。ですから東大寺の正倉院域には数棟の正倉が並んでいたと思われます。ところが現代で「正倉院」というと、奈良の東大寺にある校倉造(あぜくらづくり)の巨大な倉庫を指す固有名詞となっています。それは全国から正倉そのものがなくなってしまって唯一の存在となったことで、固有名詞化したためです。正確な名称は「正倉院正倉(しょうそういんしょうそう)」といいます。 今から50年以上前、正倉院のように三角の材木を組み合わせた校倉造という建物は、湿度が高いと木が膨らんで、逆に乾燥すると木が縮んで室内の温度湿度が一定に保たれたので、1300年経って宝物が良好な状態で保存できたのだと私は教わりました。しかしそうではなく、実際には小さな隙間だらけの倉庫なのです。ではどうしてこんなに良好に貴重な宝物が残されたのか? それは保存科学という研究で謎が解けました。 ■多くの人々の知恵と想いによって受け継がれた宝物 私の恩師でもある大学教授の研究で、環境が文化財に与える影響調査があります。正倉院そのものでの調査は宮内庁の許可が得られなかったのですが、東大寺域にはほかにも小さな校倉造がありますので、教授は許可をもらって一年間、庫内の乾湿気温などの調査をされました。すると校倉造の倉庫内の温度と湿度は年間を通してどころか、一日のうちでも大きく上下していたのです。この頻繁な湿度と気温のアップダウンが文化財には脅威となります。 そしてあらゆる検討と調査を繰り返したのち、宝物がすべて櫃(ひつ)と呼ばれる固有の木箱に厳重に収められてから正倉の棚に保管されていたことで、状態が良好に維持されていたという結論に達したのです。 保存の秘密はそれぞれが納められていた頑丈な木箱にありました。木箱の中の温度と湿度は一年中安定した状態で、これが正倉院宝物を現代に伝え得た秘密だったのです。 しかしそれにしても、なぜ東大寺の正倉一棟だけが現代にまで残ったのでしょうか? その理由は明らかで、奈良時代に大仏を建立した聖武天皇(しょうむてんのう)の遺品を光明皇后が東大寺に奉納し、その宝物があの正倉に収められたので、特別大切に扱われてきたからなのです。 ですから、1000年以上にわたって東大寺が、そして明治以降は日本政府が、唯一無二の貴重な宝物殿として厳重に保護管理をしてきたから残ったといえます。 残った理由にはもう一つ、幸運といえる要因もあります。東大寺大仏殿は何度も焼き討ちで焼失していますが、正倉院や転害門(てがいもん)などは焼けずに無事だったのです。また正倉院北倉は落雷で出火したこともあったのですが、いち早く消火をしたので焼け落ちずに残ったという幸運もあります。今も北倉の内壁には黒く焼けた跡が残っています。 何十代にもわたって人々が超貴重な宝物として守り伝えようとした努力こそが、超常的な保存を可能にしてきた一番の理由だったのです。唯一残る正倉院正倉とは、そういった貴重な国宝であり世界遺産なのです。 ※第75回正倉院展は2023年11月13日(月)まで開催。
柏木 宏之