FA残留も「使う気ないですよね?」 翌年戦力外…妻の後押し、人生変えた「脱げ」
33歳で戦力外…引退決断への背中を押した妻の言葉
迎えた1997年は現役ラストシーズンとなった。高卒1年目を除き、キャリア最少の24試合で打率.150。それでもプレー機会が少ないながらも2犠打4盗塁を決めるなどベテランの技は健在かと思われたが、9月に入ると球団からスーツ着用で球団事務所にくるように連絡があった。 「来たよ、と。シーズン中の呼び出しだから、そういうことだとは分かっていました。女房に『クビ切られてくるから。じゃ、行ってくるわ』といって球団事務所に向かいました。その時点で33歳です。打つ方は少しずつ衰えていきましたが、自分は走れなくなったら辞めようと思っていたんです。守りと走るのは、もう1年はできると思っていたんですけどね」 浦田直治球団本部長から「来年は契約しないから」と予想通りに戦力外を通告された。「もう少しやらせてください。(あと116試合で)通算1000試合出場もあるんですよ」。「トマ、もうええって。(ユニホームを)脱げって。教えろ、若いのを」。その場でコーチ就任を打診された。仮に他球団に移籍したら“コーチ手形”はなくなると伝えられた。 「1日猶予ください。カミさん(千恵子夫人)と相談します」。夫人には以前から引退後は若手に指導することが次なる夢であることを伝えていた。それだけに千恵子夫人からは「コーチをやりたいんだったら、もう辞めて、やってみたら」と背中を押された。 「分かった。お前が納得してくれるなら明日、手続きをとってもらうわ、と言って引退を決意しました。あと1、2年はできるかなと思っていたのですが、辞めると決めた瞬間から、教えるのが楽しみになっている自分がいたんです」 西武一筋15年。通算884試合、打率.256、18本塁打、121打点。そして90盗塁、122犠打。記録よりも“名脇役”として記憶に残る笘篠誠治の選手生活は幕を閉じた。それは、5球団22年に及ぶコーチ生活の幕開けでもあった。
湯浅大 / Dai Yuasa