生後2カ月間の写真がない…ダウン症のモデルがパリコレのランウエーに ゆっくり、堂々と2往復、感涙の母「今は誇りに思う」
ダウン症のファッションモデルとして活躍する菜桜(本名・斉藤菜桜)さん(20)=静岡県富士市=。その母、由美さん(54)は20年前、生まれたばかりの娘がダウン症だという現実を受け入れられず泣き続けていた。 【写真】知的障害があっても芸能人になれる? 「挑戦できる場つくりたい」専門事務所が相次ぎ登場
「育てる自信がない」 その言葉を裏付けるように、菜桜さんは生後2カ月間の写真がない。 そんな菜桜さんが2024年3月、フランスで開かれたパリ・コレクションのランウエーを歩いた。憧れだったパリコレへの出演は3分間。賛美歌「アメージング・グレース」が流れる荘厳な空間を、着物を特別にアレンジしたきらびやかな赤い衣装をまとった菜桜さんがゆっくり、堂々と2往復した。 「こんな日が来るなんて。菜桜を今は誇りに思う」。 大舞台で多くの観客を魅了した娘の姿に、由美さんの目から涙があふれた。それはあのころとは違う、温かい涙だった。(共同通信=臼井春菜) ※筆者が音声でも解説しています。「共同通信Podcast」でお聴きください。 ▽表情を保つのも、まっすぐ立つのも難しい 菜桜さんは3人きょうだいの末っ子として、2004年に静岡県内の病院で生まれた。出産までは比較的順調に進んだものの、直後に医師からダウン症の可能性がある「染色体異常があるかもしれない」と伝えられた。 その後、合併症で食道が胃につながっていないことも分かった。手術を繰り返し、胃ろうで命をつなぐ日々が続いた。
菜桜さんのことが初めて「かわいい」と感じたのは、生後2カ月を過ぎたころ、由美さんに抱きかかえられて笑う顔を見た時だという。そこから少しずつ受け入れられるようになり、写真を撮るようになっていった。 菜桜さんは9歳のころ、ダウン症に関するファッションイベントに出演したことをきっかけに、5年前から本格的に練習を始めた。レッスンに通い、家の廊下でも練習する毎日になった。ダウン症は筋力が弱く、表情を保つことや、まっすぐな姿勢で歩くことが難しい。 菜桜さんは重度の知的障害もある。姿勢、表情、ポーズ…。健常者と比べ一つ一つを覚え、身につけることに何倍もの時間がかかる。うまくいかずに泣き出すこともあった。けれど、菜桜さんが「モデルを辞める」と言ったことは一度もない。由美さんは「毎日、数%ずつだけど成長してきた」と振り返る。 ▽夢は海外のファッションショー 菜桜さんは活動をインスタグラムなどで積極的に発信し、ダウン症モデルの先頭を走る存在になった。ファッションイベント「東京ガールズコレクション」の関連企画など国内のショーへの出演も経験した。いつしか「海外のファッションショーに出ること」が母娘の夢になった。 ただ、モデル活動の現状は厳しい。海外ではダウン症モデルがショーに出ることや、有名ブランドと契約する例が広がりつつあるが、日本ではまだまだ浸透していない。ショーへの出演依頼があっても交通費や出演料をもらえることはほとんどないという。