日産スカイラインHT2000GT-R(昭和45/1970年10月発売・KPGC10型)【昭和の名車・完全版ダイジェスト050】
この連載では、昭和30年~55年(1955年~1980年)までに発売され、名車と呼ばれるクルマたちを詳細に紹介しよう。その第50回目は、レースシーンでGT-Rの高性能ぶりを強烈にアピールした、日産スカイラインHT2000GT-Rの登場だ。(現在販売中のMOOK「昭和の名車・完全版Volume.1」より) 【写真はこちら】2ドアハードトップ化に伴い、ホイールベースを70mm短縮。車体剛性の強化とともにフットワークの向上も果たした。(全9枚)
戦闘力向上を果たしたハコスカGT-Rの完成形
昭和45(1970)年10月、スカイラインに2ドアハードトップ(HT)が加えられた。最初の段階では2ドアの構想はなかったが、クーペブームが到来したので、途中から追加することを決めたのだ。前ページで述べた様に、この時にGT-Rは2ドアHTに移行し、4ドアモデルは消滅した。車両型式はKPGC10だ。 運動性能を高めるためにホイールベースを70mmも短縮した2ドアHTのGT-Rは、さらに軽快なフットワークを手に入れ、車体剛性もアップしている。ボディは全長で65mm、全高も15mm短縮され、Aピラーの傾斜も寝かせて空気抵抗を低減。全幅は55mm拡大したが、車重は20kg軽くなった。この恩恵は、サーキットでも遺憾なく発揮された。 S20型エンジンは、スペック上の変化はないが、環境に配慮してブローバイガス還元装置が装着され、レギュラーガソリン仕様のS20も設定された。このレギュラー仕様は圧縮比を9.5から9.0に下げており、点火タイミングも遅らせている。そのため最高出力で5ps、最大トルクで0.4kgmハイオク仕様よりスペックは落ちている。 エクステリアの変更も大きい。フロントマスクはヘッドライトの内側はメッキの縁取り幅を大きく広げ、その中をブラック仕上げのハニカムグリルとしている。 よりグリップ力の高いワイドタイヤを履けるように、リアにリベット留めのオーバーフェンダーを装着したのも2ドアHT・GT-Rの特徴だ。 リアコンビネーションランプは、メッキで囲んだブロック型の2分割タイプに変更された。フェンダーミラーも視認性に優れたタルボ型だ。エアロダイナミクスとダウンフォース向上のためにスポイラーも用意され、レースでは効果を発揮する。 大きく変わったのはインテリアだ。ブラック基調の精悍なデザインで、フライトスコープと名付けた6連メーターを採用した。バケットシートは相変わらずリクライニング機能を持たないタイプだが、後席に乗り込む人のために前倒れするように改良している。 GT-Rのエンブレムもデザインが変更され、リアは2段重ねとなった。 昭和46(1971)年9月に登場した最終モデルでは「5SPEED」のエンブレムが付き、トリムやシートの柄も変わる。また、スピードメーターに黄色と赤の警告表示が加わったのも変更点のひとつだ。なお、車台ナンバーは4ケタ表示になった。 ちなみに、GT-Rの生産台数は1969年式が539台、70年 式 の セダンGT-R(PGC10)が293台である。2ドアHT・GT-R(KPGC10)は、公式には1113台とされているが、車体番号で追っていくと70年式が682台(試作、レース車4台を除く)、71年と最終の72年式は515台(レース車1台を除く)の計1197台となる。よって初代GT-Rの合計生産台数は2029台ということになる。 そして昭和47(1972)年9月、4代目のケンメリ(C110型)が登場し、ハコスカは姿を消す。 後に櫻井眞一郎はこう語っている。 「数多くのスカイラインを手掛けたが、最も思い出深いのは3代目のC10型スカイラインとGT-Rだ。セダンは日産との合併で部品共用の検討や仕様変更を強いられ、残念だった。だが、走りに磨きをかけることができた2ドアHT・GT-Rは開発していて楽しかった。剛性を上げながら軽量化にも取り組んだ」 S20型という高性能エンジンを積み、サーキットの勢力図を大きく変えた初代GT-Rは、50年の時を超えて今も愛され続けている。日本の自動車界に大きな影響を与えた稀代の名車、それがハコスカGT-Rだ。