『アイム・ノット・ゼア』“俺はそこにはいない”ディランであってもディランではない
6人が演じたディランの分身
先にも述べたとおり、本作の主人公は6人のディランの分身。詩人、預言者、無法者、ニセ者、エレキギターのスター、そしてロックンロールの殉教者。演じるのはそれぞれ異なる役者で、順にベン・ウィショー、クリスチャン・ベイル、リチャード・ギア、マーカス・カール・フランクリン、ヒース・レジャー、ケイト・ブランシェット。錚々たる顔ぶれだ。唯一の女優ブランシェットは、本作の演技でヴェネツィア国際映画祭女優賞を受賞した。 まずは6人のドラマを、それぞれ解説しておきたい。少々長くなるが、ご容赦を。まずは“詩人”その名もアルチュール・ランボー。ディランが影響を受けた19世紀フランスの詩人と同じ名を持つこの男は、公聴会のような場で観客に向かって語りかける。いわばディランの精神を伝えるキャラクター。彼の言葉は随所に挿入される。 続いての“預言者”ジャックは60年代初期にニューヨークで歌い始めたプロテストシンガー。ディランと同様に、女性シンガーソングライター、アリス(モデルは実在のアーティスト、ジョーン・バエズ。演じるはヘインズ作品の常連ジュリアン・ムーア)の協力を得て、現状に不満を抱く若者の熱烈な支持を得た。ところが、ある事件をきっかけに、彼は音楽シーンから姿を消してしまう。 そのジャックの伝記映画で主演を務めることになった俳優が、“エレキギターのスター”ロビー。本作への出演でスターとなった彼は多忙を極めるが。その一方で、愛妻クレア(シャルロット・ゲンズブール)との関係は冷えていく。これは元恋人や元妻とディランとの関係をヒントにした逸話だ。
“ファシストを殺すマシン”を持つ少年
“無法者”のビリーはアメリカ西部開拓史の時代を生きるアウトロー。ハイウェイ建設のために立ち退きを余儀なくされ、住民たちが次々とみずから命を断っている田舎町で、彼は抗議の声を上げる。彼の名前ビリーとは、西部劇の英雄のひとりであるビリー・ザ・キッドから。ディランが映画初出演を果たすと同時に音楽も手がけた巨匠サム・ペキンパーの『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(73)とリンクする。 “ニセ者”ことウディ・ガスリーは11歳の黒人少年で、“ファシストを殺すマシン”と書かれたギターケースを手に貨物列車で放浪している。その名前は、ディランも憧れていた伝説のフォークシンガー、ウディ・ガスリーから取られており、彼のギターケースには同じ文句が書かれていた。もとい、本作のウディはギターと歌の腕に優れており、それを生かして行く先々で大ぼらを吹いては窮地を乗り切り、当てのない旅を続けている。 そして“ロックンロールの殉教者”は、60年代半ばのディランそのものの容姿で現われるロックンロールスターのジュード。渡英してツアーを敢行した彼はメディアに追いかけられ、ビートルズのメンバーと戯れ、パーティでは過労で倒れ、ステージではフォークを捨ててエレクトリックサウンドに転向した裏切り者として激しい罵声を浴びる。その後、オートバイ事故に遭うのだが、これもディラン本人の体験を反映。 彼ら6人の物語が交錯し、つながりを持ちながら展開。6人が生きている時代も異なるので、19世紀から20世紀へ、またはその逆と奔放に飛び交う。 “ディランの人生と作品を通過して、別々の人格を浮かび上がらせ、それぞれを物語に仕立てること。それはディランの人生の真実を表現する、たったひとつの手段だった”とヘインズは語る。