新紙幣がダサくなってしまった「意外な理由」とは? せっかくなら漫画家やデザイナーが集結した“最高の紙幣”が見てみたい(古市憲寿)
7月頭に紙幣の切り替えがあった。前回は2004年のことだから、実に20年ぶりの新札だという。特に1万円札に関しては、1984年から福澤諭吉が肖像画に使われてきたため、40年ぶりの人物変更となる。 【画像あり】フォントが不統一、やたら数字が大きい…「ダサい」の声もある新紙幣を改めて見る
この新札、発表された時から僕は違和感を持っていた。まずデザインの問題だ。スタイリッシュとはいえない。というかダサい。財務省に言わせれば識別性のために「あえて」ということなのだろう。結果、フォントが不統一、やたら数字の大きい新札が誕生した。 紙幣のデザインを担当するのは、国立印刷局で働く工芸官である。専門職員だから、ほとんど一生を紙幣のデザインに費やす人もいるのだろう。尊い仕事だと思うが、一般のデザイナーと違って、社会に作品を出して評価を受ける機会が極めて限定されることになる。 画家も建築家も作家も、結局は数の勝負という面がある。例えば名匠ピカソの生涯の作品数は約15万点。その中には「ゲルニカ」も「泣く女」もあるが、評価されない作品もあった。モーツァルトも、手塚治虫も、草間彌生も、隈研吾も、古今東西、多作のアーティストは多い。
一方で、「生涯で残したただ一つの作品がとんでもなく素晴らしい」というアーティストは希少である。ゼロとは言わないが、一度のトライ&エラーもなしに最高傑作を創るのは至難の業なのだろう。 紙幣の世界でも、芸術的かつ現代的だと評価の高いノルウェー・クローネは、スノヘッタがプロジェクトに参加している。オスロのオペラハウスや、新アレクサンドリア図書館を設計したことで有名な建築事務所だ。裏面にピクセル化された海洋風景が描かれていて、ちょっとしたアート作品のようだ。 日本のように専門職員にデザインを任せる体制は、視認性や偽造防止という観点ではいいのだろうが、芸術性が疎かになりがちだ。 と、新紙幣の文句を書き連ねてきたが、実はまだ新紙幣を使ったことがない。そもそも旧紙幣時代からほとんど現金を使わなかったので、当然といえば当然である。ちなみにノルウェーにもよく行くが、あちらは日本以上にキャッシュレス社会なので、まだ実物の紙幣を見たことがない。 紙幣を変更する大きな理由は、偽札対策である。だが日本の偽造防止技術は非常に高く、旧紙幣時代にも偽札などほとんど出回っていなかった。しかも、さすがに日本でもキャッシュレス化は進むだろうから、紙幣の意義は低下していく。そんな中、多額の社会的なコストをかけてすべき事業だったかどうかは謎だ。「旧札は使えなくなる」「新札と取り換える」という詐欺事件も発生している。 だがこれが「最後の紙幣」となるのは、少し地味過ぎる。せっかく日本には、実力ある漫画家やアニメ監督、デザイナーがいるのだから、彼らが集結した「最高の紙幣」を見てみたかった気もする。いや、オリンピックの二の舞を恐れて誰も協力してくれないか。
古市憲寿(ふるいち・のりとし) 1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。 「週刊新潮」2024年8月29日号 掲載
新潮社