『師弟コンビ』の今後は…河村たかし衆院議員が後継の広沢名古屋市長に“注文”「飲み込まれないように」
■河村前市長の方針から方向転換…“愛弟子”の広沢市長に苦言
2024年11月の名古屋市長選では、河村路線の継承を訴えて二人三脚の選挙戦を制した広沢一郎さんだが、就任後はさっそく「広沢カラー」を打ち出し始める。 就任翌日の11月26日には、大村秀章愛知県知事とおよそ30分会談し、冷え切っていた県と市のトップ同士の関係改善に動き出した。 名古屋市だけが参加を見送り、大村知事と河村前市長の不仲の象徴だった「県民の日学校ホリデー」については、参加の可能性に踏み込んだ。 広沢一郎名古屋市長(12月5日): 県と市の連携は欠かせないものであると考えておりますので、県との共同事業においてしっかりと歩調を合わせる。 12月5日には、国際会議を共同で誘致すると並んで記者会見し、カメラの前でがっちりと握手して見せた。 さらに、河村前市長肝いりの「名古屋城の木造復元」をめぐっても、自民党市議の質問に答える形で、「エレベーターは2階まで」という河村前市長の頑なな主張を方針転換するととれる発言をした。 自民党 成田隆行市議(12月5日): 広沢市長も「エレベーターを付けない」というこだわりがあるのでしょうか? 広沢一郎名古屋市長(12月5日): 小型昇降機をできる限り上層階まで設置することについてチャレンジし、史実性とバリアフリーを両立させたいと考えております。 この答弁には、河村さんも不満を隠さない。 河村たかし衆院議員: 誤解を受けますわね。一番上までエレベーターか昇降機をつけると誤解されると、みんながっかりしちゃうから、それはいけないと。名古屋の宝は、福祉とは別なんです。言い切らないといかんです。ようやっとらっせると思いますけど、ぜひ市民の顔を忘れずに、議場で議員の顔を見とると立派に見えるけど、その裏にある名古屋市民の顔を常に思って。「死んでもええ」と言っとったがね、自分で。そういう気でやらなあかん。
■“師匠の苦言”に対し…広沢市長「その都度1番ベストな選択する」
広沢市長は毎朝、お気に入りのコーヒーを淹れるのが変わらないルーティーンだ。市長就任1カ月、大きな気負いはないように見える。 広沢一郎名古屋市長: 朝は急いで食べるので、基本的に寡黙に食べるんですよ。 妻の真理さん: たぶん、スケジュールとかを頭の中で考えているのかなと思って。 大村知事や市議会とも融和ムードだが、河村前市長が使ってた軽乗用車の公用車はしっかりと継承している。 広沢一郎名古屋市長: 河村さんの時からの引継ぎです。いいですよ。背が高くて乗り込みやすいですし。 河村前市長の“苦言”についてどう考えているのか。 広沢一郎名古屋市長: 継承というのは、いわゆる理念であるとか主な政策は継承するけど、「後は思うようにやりなさい」という、(河村前市長は)そういうタイプです。日々新たな課題も生まれますし、状況がどんどん変わってきますので、その都度その都度で1番ベストな選択をするのが私の役目ですので。特段そこには「河村さんだったらどう考えるか」とかそういう観点は全くなく、私なりの考えで決めていきたいと思っています。