家族なのか、それとも…被災者につきつけられる「選択」 本誌記者が能登で見た「ペットと震災」の現実
小雨の降る中、車を停めて歩き出すと、朝市通りの入り口だった。その脇にある家は屋根が地面に落ちていて、瓦が散乱している。付近の歩道の敷石は波打っていた。辺りはもう暗くなり始めていて、歩く住人の姿もない──。 【がれきを取り除くと…】倒壊した家屋の下で光っていたムームの眼 本誌記者が輪島市河井町の朝市通り近くに到着したのは、1月5日の午後15時半ごろだった。すでに地震発生の元旦から4日ほど経っていた。 被災した建物が両脇に続く朝市通りは、途中までは行くことができた。だが、残った建物で狭くなっている視界の先には進めなくなっていた。まだ焦げ臭い。全景を見ようと、写真を撮りながら様子を確認するために、別方向へ迂回して進む。 少し歩くと、目の前一帯が焼け野原に見えるところに出た。かなりむこうのほうまでが見通せる。こんなに広い範囲が焼失しているとは思っていなかった。あとで知ったところでは、その範囲は5200㎡に及んでいたようだ。 その光景に立ちすくんでいると、初老の男性と若い女性の親子に出会った。若い女性は何か辺りに呼びかけながら歩いている。(暗くなり始めた焼け跡で何を……)と思い、2人に声をかけてみた。 「ネコを探しているんです。〝チビ〟って言うんです」 その若い女性は「チビちゃーん」と、ネコの名前を呼んでいたのだった。聞くと、本誌記者が立っていた場所の目の前にあったはずの建物の住人だった。 「地震で玄関のドアが開いちゃって、そこからびっくりしたチビが出て行っちゃって。もう1匹のネコは、避難所のペットといられる部屋で一緒にいるんですが、チビの好きな食べ物も持って探しに来たんです……」 その若い女性の手には、チビの好きだった「またたび玉」というお菓子があった。 そこに若い夫婦が防水カッパの上下を着た女性達とやって来た。その若い夫婦も近くの焼失した家の住人で、家に残していたネコを探しているとのこと。ネコを探しているのは最初に会った親子だけではなかったのだ。一緒にいたカッパ姿の女性達は「ペットレスキュー」と書かれた白い紙を背中に貼っていた。どうやらペットを探す手伝いをしているようで、辺りを見ながらアドバイスをしていた。 彼らと離れ、別のところで取材をするのだが、注意して見てみると、あちこちの道路脇や軒下にペットフードが載った小さな平皿が置かれているのに気づいた。震災の混乱の中でペットがいなくなり、そういったペットのために餌を置いておく被災者は想像するよりも多いようだ。 翌朝の7時前には避難所から犬の散歩に出てくる被災者達の姿が見られた。トイレ事情をとってみても、上下水道が全く機能しておらず、簡易トイレの前には水とひしゃくの入ったバケツが置かれている……そんな状況の中でも散歩を欠かさないのだ。すると、犬を連れた年配の女性から、「ケガをしたチワワが保護されて、避難所に連れて来られて…」と相談されてしまった。そこで、前日に会ったペットレスキューの存在と連絡先を伝えておいた。 その後、あちこち取材をしていると、昨日の「ペットレスキュー」の女性2人に再会した。『チーム うーにゃん』というペットレスキューの代表であるうささんと、もう1人のメンバーだ。前日に捜されていたチビちゃんや若い夫婦のネコ達は、残念ながらまだ見つかっていないそうだ。 朝に年配の女性から相談されたケガをしたチワワについて聞くと、ちゃんと連絡があったようだ。飼い主は見つかっていないので、とりあえずうささんが連れて帰り、里親を探してみて、見つからなければ、引き取ることになっているという。 うささんたちが河井町から遠く離れた山の中で、ムームというトイプードルを救助したという話も聞いた。ムームは車にいるというので、見せてもらう。軽バンの後部ハッチを開けると、ケージの中に入ったトイプードルが、「クーン、クーン」と鼻を鳴らしていた。 「親戚の方から連絡があって、80代のおばあちゃんの飼っていたムームを助けに行きました。町野町という孤立していたところです。1月4日にようやく自衛隊が入って来られたような場所でした。向かう途中で土砂崩れが発生していて車では行けず、安否確認に向かう男性らと夜の山道を5km歩いて、幾つも土砂崩れを越えてやっと集落に辿り着いて。 ムームは、土砂崩れの脇で倒壊した家の瓦礫の中、一人ぼっちで2日半飲まず食わずで耐えていたんです。家の周りを名前を呼びながら確認していたら、『クーン』と鳴いてくれて、いることが分かりました。瓦礫を一つ一つ外しながら近づいたのですが、あまりに瓦礫が詰まっていてどけられなかったんです。指示待ちで待機していた自衛隊員に相談したら、2人が手伝ってくれて助け出すことができました。 今、兵庫に避難している飼い主のおばあちゃんが会いたがっているので、どこかで親戚の方に預けて、おばあちゃんの元に連れて行ってもらうことになっています」 ここでは動物のレスキューとして活動しているうささんだが、絵本作家であり、現場で経験したことをモチーフに絵本も創作しているとのことだった。元々は被災者に亡くなったペットの絵を届ける活動をしていたが、熊本地震の後から、『チーム うーにゃん』を立ち上げて、レスキュー活動をしているという。 「東日本大震災から被災地に行っています。私は、ペット同室避難ということを訴えています。東日本の時には避難所の問題から、たくさんの動物が亡くなってしまいました。ペットがいるがために避難せずに亡くなった方もたくさんいました。 私は、全ての人を救うには、同じ家族としているものを一緒に救い上げないと、避難所の意味はないんじゃないかと訴えているんです。ここの避難所はペットも受け容れていたので、嬉しかったです」 これまでも、災害時のペットの問題は頻繁に採り上げられ、本誌記者も当然のようにそのニュースには触れていたはずだ。しかし、さほどの関心を払ってこなかったのが正直なところだ。今回の現地取材では、共に暮らしていた動物への被災者の想いの強さを実際に目の当たりにして、ただ驚き、考えさせられた。 取材を終えて帰京し何日も経った頃、うささん達が救助したムームが兵庫に避難しているおばあちゃんの元に無事送り届けられたとの報道があった。改めてうささんに連絡をし、その後の話を聞いてみた。 「ムームがおばあちゃんのところに行けて良かったです。輪島で預かったチワワの里親は、石川県内で見つかりました。まだ確認は必要なのですが、ほぼ飼い主さんだと思われる方もわかっています。ただ、飼い主さんもこのまま戻ることができないため、里親さんが面倒をみてくれることになっています。また、ネコを探している方で見つかった方もいます」 記者が話を聞いた家族らの元にはネコはまだ戻っていないそうだが、少し安心した。うささんらの活動は、間違いなく誰かの〝大切なもの〟を守り、ひいては飼い主を救ったことにもなるだろう。 だが、「悲しいこともあった」とうささんは言う。被災したある家の前でグッタリしたロシアンブルーを見かけたのだという。その猫は体温も低く、散乱したゴミの一部であるかのようにゴミに埋もれて横たわっていたそうだ。 「家から出て来た年配の男性が『うちのネコだ。避難所に連れて行っても迷惑をかけるし病気で先も長くないから、そいつはもう置いて行くんだ』って言うのでビックリして。『私が連れて行ってもいいですか?』って聞くと、『連れて行ってくれるの?もちろんいいよ。もう長くないけど、そんなのでもいいの?』と言って去って行きました。 そんなやりとりもネコは聞いていました。預かった数時間後にその子は亡くなりましたが、きっと『自分は捨てられた』って分かったでしょう。だから、あの子は自分で選んで命を閉じちゃったのかな……とも思うんです」 抗うことのできない自然災害に遭い、見つかると信じて自らの〝大切なもの〟を探し続ける被災者もいれば、諦める〝選択〟をする被災者もいる。それもまた辛い現実なのだろう。 現在、輪島の被災地では飼い主達が連携して、いなくなったペットを捜索している。うささんも、1月末から現地に戻り、再びペットレスキューをするそうだ。
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