16度目の首脳会談で進むか 「日ソ共同宣言」から60年、停滞した領土交渉史
終戦から71年経過しましたが、いまだに解決していないのが、不法占拠されたままとなっている北方領土の問題です。きょう12月15日にはプーチン大統領が来日し、山口県長門市で首脳会談を行います。ことしは、平和条約締結後に歯舞群島、色丹島の引渡しを決めた1956年の「日ソ共同宣言」からちょうど60年の節目になりますが、平和条約や領土交渉の進展はあるのでしょうか。 あらためて、日ロ間にはどのような領土をめぐるやりとりがあったのか。歴史を振り返ります。
60年前の「日ソ共同宣言」で両国の国交回復
60年前の1956(昭和31)年、鳩山一郎首相とソ連のブルガーニン首相が「日ソ共同宣言」に署名。同年12月の発効で国交を回復しました。共同宣言の主な内容は「日ソ戦争状態の終了」、「外交・領事関係の回復」、そして「平和条約締結交渉の継続」と「平和条約締結後の歯舞群島・色丹島の日本への返還」です。
東西冷戦で平和条約交渉が停滞
日米安保条約に反発し、歯舞、色丹の引渡し条件として、ソ連は米軍の日本撤退を要求(1960年)するなど、米ソ冷戦下で平和条約締結交渉は停滞。ようやく冷戦終結後の1991(平成3)年4月、ソ連ゴルバチョフ大統領が海部俊樹首相と東京で会談し、「ビザなし交流」を提案。北方4島の名前を初めて盛り込んだ「日ソ共同声明」に署名しました。そして同年12月、ソ連は崩壊、ロシア連邦が誕生。翌92(同4)年4月、北方領土への「ビザなし交流」が始まります。
2000年までの平和条約締結を目指した「クラスノヤルスク合意」
さらに翌93(同5)年には細川護熙首相とエリツィン大統領の間で4島の島名を列挙し、帰属に関する問題を位置づけ、領土問題解決のための交渉指針を示した「東京宣言」に署名。 4年後の1997(同9)年には、橋本龍太郎首相とエリツィン大統領の間で「2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」と期限を明示した「クラスノヤルスク合意」を交わしました。翌98年には、橋本首相がエリツィン大統領に、択捉島とウルップ島の間に境界線を引き、施政権を当面ロシアに委ねる「川奈提案」を行うなど、交渉は前に進みだしたかのように思われます。しかし、「クラスノヤルスク合意」で期限とした2000年目前の翌99年12月31日、エリツィン大統領が電撃辞任、後継指名を受けたプーチン大統領が大統領代行となります。