舞台でキャリア重ねた宮澤エマ、映像作品との違い語る「カメラは嘘を見抜くのが上手い」
■"身を任せる”選択が結果につながった ――小さい頃からしていたボイトレなどの努力があってのことだとは思いますが、努力をしてきたからこそ“身を任せる”ことにも勇気が必要な気がします。 本当は、最初からお芝居をしたいとか、歌だけをやりたいとか、そういう気持ちがありました。でも結果的に、大きな渦の中に自分の身を投じることにしたんです。何がベストか分からないんだから、プロフェッショナルな人たちの作る波に、逆にのまれてしまおうと。それが結果につながりました。今でも毎回、いただいたお仕事をやるべきかやらざるべきか迷います。でも“私に”と思ってくれているのであれば頑張ろう、とお返事をすることが多いんです。ある種、決断することを放棄していることが、私の決断かもしれません。でも、憧れはあります。アメリカの俳優さんには多いんですけど、自分にはこういう信念があるからこの仕事は受けない、とか。どうしてもこの仕事をやりたいから、何度も何度もディレクターに手紙を送って実現しました、とか。自分から自発的に動いて、勝ち取ったという自負を持って生きていらっしゃる俳優さんもたくさんいらっしゃると思います。もちろん、私にもそういう部分がないわけではありませんが、どちらかと言えば、求められているんだったらやってみよう、と委ねてきたほうが大きいんです。もしそれを変えていたらほかの人生があったかもしれませんが、結局は生きている今がすべてですよね。
■仕事終わりの1杯が、自分の時間のはじまり ――宮澤さんはミュージカルを中心にキャリアを重ね、ここ最近ではドラマにもたくさん出演されるようになりました。ミュージカルの面白さ、ドラマの面白さをそれぞれどのように感じていますか? コアになる部分は同じだと思っています。同じお芝居なので、演じている瞬間は、違うことをやっているという感覚はありません。でも準備のプロセスは全く違います。舞台は2カ月、3カ月と稽古をして臨みますが、舞台に立つ人って皆さん常日頃からレッスンを受けて、歌ったり踊ったりして、いつでも役ができるような体の準備をしているんです。そこから稽古の日々の中で何度も何度もトライして、役の完成に近づけようとしていくんですね。本番の幕が開いてからも、そのトライを続けていきます。そうやって繰り返していく中で新しい発見をしていくのが舞台です。 一方で映像作品で私が関わってきたものは、準備期間が舞台ほど長いものはなくて、皆さんがよく言うような瞬発力が必要だと感じました。それは、自分自身の人間性の中から何かを引っ張り出してこなきゃいけないので、よりパーソナルな部分をさらけ出さないといけないんです。カメラって嘘を見抜くのが上手いんですよ。舞台は照明やカツラなど、いろいろな要素があって、お客さんも含めて虚構の時間を過ごそうという運命共同体だから、嘘が作りやすいのですが、カメラの場合は、お芝居が生まれるときにお客さんが参加していないので、放送で完璧に真実に見えるように演じなければならないんです。発する言葉は自分の言葉になっていないといけない。そこはすごく大事にしているところです。