「自分がいることに違和感しかない」関根勤が『笑っていいとも!』で悩み続けた8年間
◇『笑っていいとも!』での立ち位置に悩む そして、関根にはもうひとつの土壇場があった。それは意外にも、およそ29年にわたってレギュラー出演していた『笑っていいとも!』で訪れたという。 「32歳のときにレギュラーになったんですけど、僕がやる代表的なモノマネが、ジャイアント馬場さん、長嶋茂雄さん、輪島功一さん、千葉真一さん……わかるでしょ?(笑) 自分と同年代の男が好きなもので笑いを取ってた。いわゆる男笑いというやつです。そういえば、高校時代も男ばかりを笑わせていたし、ラジオイベントをやると、9割以上が男のお客さんなの。 それなのに『笑っていいとも!』は、客席の9割5分が若い女性でしょ? もうね、そこに自分がいることに違和感しかない。どうしたらいいかわからない、それでも頑張ってました。どれくらいそれが続いたかって? その状態で8年はレギュラーやってましたよ」 苦悩しながらも「テレビの向こう側」にいるファンを笑わせようと切り替え、なんとか踏ん張ってきた関根。8年モヤモヤと戦い続けたなかで、ある光を見出した。 「娘の麻里が8~9歳になったあるとき、家に友達を連れてきたんです。通っていたのがインターナショナルスクールということもあってか、友達のお嬢さんたちがみんな、年齢のわりに大人っぽかったんですよ。 その次の週の『笑っていいとも!』に出て、ふと“あ、 この子たちは、麻里の友達の数年先だな。……ってことは、なんだ、あの子たちがちょっと大きくなっただけじゃないか。別に気負うことなかったんだ、僕は何を恐れていたんだ”ってストンと落ちたんです。29年のうち8年間はもがいていましたけど、それに気づいたあとの21年は楽でしたね」 『笑っていいとも!』での関根の真骨頂と言えば、のちに『水曜日のダウンタウン』(TBS系)でも取り上げられた『身内自慢コンテスト』だろう。有名人に顔が似ている身内や友人を紹介するコーナーで、関根は司会を担当。 紹介者が登場した際、さまざまなものに例えて笑いをかっさらっていた。そのフレーズに関して、関根には流儀があった。 「顔や雰囲気でパッと浮かんだものを言うんですけど、相手は一般の人だし、変なこと言うと傷つけちゃうじゃないですか。あの方々にとっては、これが一生に一度のテレビ出演の可能性が高いわけですよ。そんなうれしいテレビに出たあと、悪口を言われるようになったら申し訳ない。 なので、例えば静かそうな人が出てきたときは“昨日、2冊目の詩集が完成しました”とか“ジーンズにアップリケをつけました”とか言っていましたね(笑)。逆に、アクティブな雰囲気の人には“ブラジル人の友達が多いです”とか例えたり(笑)」 まだコンプライアンスがゆるく、人を傷つける笑いがまかり通っていた時代に、すでに関根には“当たり前”の目線が備わっていたというわけだ。ただガス抜きもしっかりしていたという。 「ありがたいことに“人を傷つけない笑いの先駆け”とか言ってもらえるし、イメージ的に優しいとか言われるんですけど、でも、当時は有名人でも生意気なヤツ、調子こいてるヤツに対してはラジオで毒をぶつけていましたよ(笑)。今みたいにすぐネットニュースにならないからよかった、ハハハハ!」 関根が長く芸能界で活躍している理由は、こうした「目線」が備わっていたからではないだろうか。常に多角的な目線を持ち、芸能界の「バランサー」の役割を果たしているように感じる。そのあたり、関根はどう思っているのか。 「そうですね、僕が生まれた年にテレビ放送が始まったんですけど、本当に小さい頃からテレビばかり見ていたんです。すると、“この人は前に出過ぎだな”とか“この人、空気が読めてないな”とかが、テレビの画面を通して見えてくるわけです。 そんなこともあってか、テレビに出るときは、常に視聴者の自分も、カメラの向こうにいる感覚がずっとあるんです。あと、35歳で劇団『カンコンキンシアター』を立ち上げて、後輩の立ち位置やウケるコントを考えていくうちに、バランス感覚が養われた気がします。 例えば『笑っていいとも!増刊号』とかで流れた放送終了後のトークで、僕とタモリさんが話していると、当時は若手のキャイ~ンはなかなか入れないわけですよ。でも、テレビを見ている人は、“タモリも関根も知っている。でも、あの横にいる面白そうなヤツはなんなんだ。そっちの話が聞きたいな”と思うわけですよ。だから、僕はすぐに話を振る。“ウドはどう思うの? 天野はどうする?”とか。 そこにタモリさんが絡んでくれて広がっていく……。そうすると、テレビを見ている人は“キャイ~ンっていうのか、知らなかったけど面白かったな。来週も見よう”と感じるし、トークのバランスが良いから、スタッフも喜んでくれるんですよね」 ◇仕事もプライベートも楽しい今が全盛期! もうひとつ気になることがあった。関根が「楽しそうに仕事をしている」ということだ。TVタレントは見られる仕事であるから、楽しく見えるように気を遣う部分もあるのだろうが、それでも心の底から楽しんでいると感じる。なぜそこまでご機嫌で楽しそうなのか、聞いてみた。 「あはははは! そう見えているならうれしいですね。それは……親からもらった元気な体と、お笑いの世界にいる環境が大きいですかね。学生時代から面白いと思うことをやって、プロになったけど、それだけじゃもちろん通用しなかった。それから、小堺くんが入ってきて二人で活動するようになったけど、悩むことも多くて……。 そんななか『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系)に出て、やっと市民権を得ることができました。要は、みんなが僕に慣れてくれたんです。 そのあとはどんどん仕事が増えて、楽しいことの連続ですよ。娘と遊ぶのが楽しくて、趣味のゴルフも楽しくて、最近は孫とずっと遊んでいるし……。そう考えると、今が全盛期かもしれませんね」 シビれる名言が飛び出したところで、最後に、今年で芸能生活50周年を迎えた関根に、今後の活動を聞いた。 「(レギュラー出演中の)『シン・ラジオ』(BAYFM)で、僕が“芸能界の良い時期を駆け抜けられた”と話していたら、リスナー含めてみんなが“そんなこと言っている場合じゃない。芸能生活60周年に向けて頑張れ。今よりも高い地位で80歳を迎えろ”って言うんですよ。 その流れもあって、今度、落語に挑戦することになってね。蝶花楼桃花さんが師匠になってくれて、かんこん亭きん太という名前をいただきました。 来年あたり、古典の人情話と、新作の僕らしい落語をやることになったんですけど、番組がそういった挑戦を企画してくれてケツを叩いてくれるんで、老けないですね(笑)。あとは自分がやっているYouTubeのライブも10月にあるし、『コサキン』のイベントも控えているし……やることがいっぱいあるんですよ。全部楽しみ!」 まだまだ止まらないのか関根勤。まだまだ走るのか関根勤。コメディアン・関根勤の全盛期は、これからも更新され続ける――。 (取材:浜瀬 将樹)
NewsCrunch編集部