SOPHIA松岡充 活動休止9年を経てメンバー招集「ケジメをつけようぜ」
プロゴルファーの丸山茂樹がパーソナリティをつとめるTOKYO FMのラジオ番組「ACN presents 丸山茂樹 MOVING SATURDAY」(毎週土曜 7:00~7:25)。11月11日(土)の放送は、ロックバンド・SOPHIAの松岡充(まつおか・みつる)さんをゲストに迎え、お届けしました。
◆バンドを組むはずが挫折…!?
丸山:まずは松岡さんのプロフィール紹介を。1971年8月12日生まれ、大阪府出身。1995年にロックバンドSOPHIAのボーカリストとしてメジャーデビューし、多くの代表曲を生み出されました。音楽活動以外にも、ドラマや映画、ミュージカル、舞台などで俳優としても活動。そのほか、写真集出版、小説執筆、プロダクトデザイン、番組司会など多彩な分野で活動しています。 松岡:ありがとうございます。 丸山:大阪で生まれて、お笑いが好きなのにバンドにいったのは、イケメンだからというのもあると思うけど。 松岡:いやいや……でも、やっぱり小さい頃から吉本(興業)が身近にあって、土曜に学校から帰ってくると必ず(お笑いや吉本新喜劇を)観ていたような生活でした。 丸山:僕は関東なので、(土曜に学校から)帰ってきてからというと、「3時のあなた」(フジテレビ系)でしたよ。 松岡:年頃になって、将来を考えたときに、地方から東京の有名な大学に出るのって難しいじゃないですか。万が一、頑張っていったとしても、例えば出世するのかとか、人生で勝てるのかって考えたんです。 丸山:うん。 松岡:一番勝てるのは何だろうと考えたときに、どんな偉い政治家も、どんなお金持ちも、ロックスターには“やられたな”と思うんじゃないかって。 丸山:なるほどね。 松岡:テレビを観て、ロックスターが出て(ファンが興奮で)「キャーッ!」ってなっていたら、男として勝ちじゃないかと。 丸山:間違いないと思います(笑)。 松岡:当時、バンドをやっていたので、“このまま俺はロックスターになろう”って感じだったんです。中学の頃、BOØWYがすごく流行っていて、「NO. NEW YORK」をコピーして、いついつに集まろうぜということになって。 丸山:うん。 松岡:僕はギターを買って、ギターを覚えて行ったら、みんな楽器を持っていなくて。「何してんの?」って言ったら、「ごめんごめん、言うの忘れていたわ。バイクに替えたわ」って。 丸山:ハハハハハ! 松岡:みんなバイクを買って、BOØWYじゃなくて「BE-BOP-HIGHSCHOOL(ビーバップハイスクール)」(きうちかずひろさんによるヤンキー漫画)ばかり見て。「湘南爆走族」とかね。それでちょっと(バンドは)1回挫折したんですよ。高校になってからバンドを組んで。 丸山:なるほど。でも、自分に才能があるって思わないと続けられないでしょ? 当時、自分は歌が上手いと勝手に思い込んでいたのか、周りから「お前、歌が上手いな」と言われてきたのか、どっちなの? 松岡:歌は小さいときから好きで、親戚の前とか道行くおじさんを止めて、歌っておこづかいをもらうような子だったんですよ。 丸山:関西っぽいね(笑)。 松岡:そういう子どもだったんですけど、(自分には)“バンドだな”と思ったのは、学校の校則がすごく厳しくて、「ライブをしたい」と言ったら「ダメだ」と言われて。「なんでライブをやっちゃダメなの?」と聞いたら「高校生らしからぬ行動をするやつが出てくるからだ」って(先生が)言うんですよ。 丸山:へぇ~。 松岡:で、「そういうやつが誰か1人でも出たら、僕が責任をとって退学します。なので、ライブをやらせてください」と言ったら「わかった」と。いつも真面目に学校生活している人たちが(バンドを組むために)集まったんですよ。 丸山:ということは、いい学校に行っていたの? 松岡:そう、頭のいい学校だったんですよ。僕は全然でしたけど。それでライブをやったら、普段は真面目で黙っているような学生たちが、ロックのライブに歓喜したんですよ。「ウォーッ!」って。 丸山:熱狂させたんだ。 松岡:そのパワーで、“これはすごいな”と思って。