腹痛で作業を休んだ自分は生き残り、同級生は全員亡くなった 被爆60年経て決意「伝えなくては」。親友の遺品を前に、広島で語り続ける
うち外国人は約67万人で3割以上を占める。新型コロナウイルス禍での水際対策が緩和されたことや、昨年5月の先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)で首脳らが訪れ、資料館に注目が集まったことが背景にあるとみられる。 多くの見学者が被爆の悲惨さに触れる一方、展示が見えにくいほどの混雑も起きていて、昨年8月には入館に最大2時間待ちの行列ができるなど問題が表面化した。 対策に乗り出した広島市は3月1日から開館時間の延長やオンラインで予約を受け付ける取り組みを始めた。延長した時間帯は予約限定で、開館を通常の午前8時半から午前7時半に早め、閉館を1時間遅らせる。 対策後の平日朝、開館時間を早めた時間帯には行列はなく、国内外の見学者が並ぶことなくスムーズに見て回っていた。予約して午前8時ごろに来館した札幌市の会社員の女性(48)は「すいていてゆっくり見ることができた。原爆の恐ろしさがよく分かった」と話した。 ▽被爆者の話を直接聞けない時代に、何が起こったかを伝えるには
資料館は1955年の開館以来、被爆の実相を伝える遺品や被爆者の証言などを収集してきた。 学芸員の小山亮さん(43)は取り組みの重要性をこう強調する。「被爆者の話を直接聞けない時代に、原爆投下で何が起こったかを伝えるためには1次資料が最も大切だ。被爆から100年たっても、その先の時代も多くの人に展示品を見てもらえるように、適切な保存のための取り組みを続ける」 【原爆資料館】 爆心地に近い広島市中区の平和記念公園内にあり、正式名称は広島平和記念資料館。世界的建築家の故丹下健三氏が設計し、被爆10年後の1955年に開館した。 壊滅した市街地の写真や犠牲者の遺品などで惨状を伝える本館と、核兵器の危険性や広島の歴史を説明し、被爆者の証言ビデオを視聴できる東館で構成する。昨年5月のG7広島サミットでは、バイデン米大統領や、ウクライナのゼレンスキー大統領らが視察した。 もう一つの被爆地、長崎市にも原爆資料館がある。