名将カペッロ氏、中国でキャリア唯一となる辞任した理由は?「結果が出なかったからではない」
名将ファビオ・カペッロ氏がイタリア紙『イル・ジョルノ』のインタビューに応じ、自身のキャリアを振り返って過去のエピソードを明かした。 日本代表の順位は?FIFAランキング最新版 ミランやレアル・マドリー、ユヴェントスやローマなどビッグクラブを率いたほか、イングランド代表監督を務めた経験も持つカペッロ氏。現在78歳の名将は、過去に1度だけ指揮官の座を辞任した際の背景を明かした。2017年6月に中国の江蘇足球倶楽部(当時は江蘇蘇寧)の監督に就任したものの、翌年4月にクラブとの契約解除に合意。1年足らずで中国を離れている。 「私がキャリアで辞任したのは1度だけだ。だが、結果が出なかったからではない。私の妻のためだった。彼女は常にスーツケースを持って、選手から監督になった私のために尽くしてくれた。何度一緒に引っ越したか、数えきれないほどだ。たった1回を除いてね」 「当時、イタリアでインテルのオーナーグループでもあった中国の蘇寧から連絡があったんだ。だが、妻は一緒に来ることができなかった。中国は決して近い国ではないからね。そして私も理解した」 「私は彼女なしではいられないということを理解したんだ。そこで中国人たちの元へ向かい、『大変申し訳ないが、ファビオ・カペッロはセンチメンタルな感情的な理由で、万里の長城の下にいることはできない』と伝えたんだ。彼らも理解してくれたよ」
■届かなかったミラン名物会長への忠告
またカペッロ氏は、ミランの名物会長だったシルヴィオ・ベルルスコーニ氏との逸話も明かした。レアル・マドリーの指揮官を務めていた時、元ブラジル代表FWロナウドを獲得しないように伝えていたという。 「ベルルスコーニとけんかをしたことは一度もないが、私の言うことを聞いてくれなかったことは1度ある。私が2006年にマドリーへ戻った時、ロナウドがチームにいた。ファンタスティックな選手だったが、彼にはもうアスリートのメンタルがなかった。パーティーばかり開いていたんだ」 「ロッカールーム内をメチャクチャにしていたので、マドリーの首脳陣に対し、彼を売却するよう説得した。するとある日、シルヴィオから連絡があった。『ファビオ、本当にロナウドを売るのかい?』ってね」 「私は『会長、その通りだが、私にとってミランは大切なので、絶対に彼を獲得しないで欲しい。この間違いは犯さないで欲しい』と答えた。ベルルスコーニは電話上では私の言い分を認め、アドバイスを聞き入れると誓っていた。だが翌朝に新聞を開くと、『ロナウドがミランの選手に』との見出しが躍っていたんだ。私はマドリードにおいて、フェノーメノ(怪物の意味でロナウドの愛称)なしで優勝したが、ミランは優勝を逃したんだ」