【柔道】素根輝の「どんなに苦しくてもきつくても変わらない」目標…東京五輪金メダル獲得してから乗り越えた苦境の3年間
7月26日のパリ五輪開幕まで、6日であと50日となった。柔道女子78キロ超級で東京五輪金メダルの素根輝(23)=パーク24=がこのほど、スポーツ報知のインタビューに応じた。東京五輪後の3年間で左膝の手術など度重なる苦境を経験。新境地で試練を乗り越え、五輪2連覇を目指す決意を明かした。(取材・構成=林 直史) 素根のパリ五輪への苦難の3年間は、夢をかなえた次の日から始まっていた。21年東京五輪。女子最重量級の頂点に立った翌日の混合団体決勝で左膝を負傷した。五輪後は痛みと付き合いながら稽古を続けたが、限界に達し、22年3月に内視鏡手術に踏み切った。人生で初の経験。「元の状態に戻れるのか」と不安を抱え、復帰後も思うような動きができなかった。 「恐怖心がずっと残っていて、動きに制限がかかっている中でなかなか自分の理想とする柔道ができない。すごく葛藤はあったし、イライラするような時間が多かった。前の自分と比べるのは良くないけど、どうしても比べてしまう。『あの時はできていたのに』と思ってしまっていた」 それでも、代表選考は進んでいく。「できることをやるしかない」と奮い立たせ、23年5月の世界選手権で優勝。完全復活かと思われたが、今度は心身の不調に陥った。8月に実績が評価され代表に内定したが、再発性単純ヘルペスを発症するなどコンディションが整わず、実戦から約10か月も遠ざかった。24年3月のGSトビリシ大会は5位。シニアの国際大会で初めて表彰台を逃し、4月のアジア選手権は左膝を痛め途中棄権した。 「(準々決勝で)相手の足が横から入った感じだった。けがした瞬間は膝に力が入らなかった。手術した方の膝だったので『やばいな』って。この先、どうなるんだろうと不安が大きかった」 帰国後の検査では軽症。5月のGSアスタナ大会にギリギリで間に合わせ、3位で国・地域別の五輪出場権獲得を確実にした。苦しい時期に支えてくれたのは家族だった。東京五輪以前に練習パートナーを務めていた兄・勝さんが手を差し伸べてくれ、年明けからタッグを再結成。五輪後に上京してサポートしてくれている母・美香さんには「やるしかないんだから」と力強い言葉で背中を押された。 「東京五輪を100%だとすれば、今は50%ぐらい。でも五輪が迫ってきて、今は前の自分と比べるのではなく、シンプルに優勝したいという気持ちになっている。ここまで来たら自分を信じてやるしかない。『まだまだこんなもんじゃない』と思っているし、自分に期待もしている。どんなに苦しくても、きつくても、目標は金メダル。そこだけは変わらない。必ず金メダルを取ります」 座右の銘“3倍努力”を胸に、稽古では納得するまで突き詰める性分だが、度重なる試練を経験し、常に完璧を求めてきた考え方も少しだけ変わった。一回り大きくなった素根は、五輪連覇へ迷いのない視線を向けた。 ◆柔道で五輪を連覇した日本勢 連覇は過去7人。男子は野村忠宏が最多3連覇。斉藤仁、内柴正人、大野将平が2連覇している。女子は谷亮子、谷本歩実、上野雅恵が連覇を達成。パリ五輪では日本は男子が66キロ級の阿部一二三、81キロ級の永瀬貴規、100キロ級のウルフ・アロン、女子は52キロ級の阿部詩、78キロ超級の素根輝に2連覇が懸かる。 ◆素根 輝(そね・あきら)2000年7月9日、福岡・久留米市生まれ。23歳。7歳で柔道を始め、南筑高2年時に金鷲旗高校大会決勝で男女を通じて史上初の5人抜きを演じる。21年からパーク24所属となり、日大にも進学。世界選手権は19、23年に優勝。全日本女子選手権は2度制覇。得意技は体落とし、大内刈り。162センチ、110キロ。
報知新聞社