南北朝時代の落城伝説 「仲山城」(前編) 山城ガールむつみ 埼玉のお城出陣のススメ
仲山城の麓は、荒川に向かって口を開いた谷になっていて、集落を築くに適していることが見て取れます。城下には、直家が勧請したと伝わる諏訪神社や、琴平神社があり、この周辺には一族の館などがあったのだろうかと、想像をめぐらせることができる素晴らしい景観が広がっています。天正年間には、鉢形城主北条氏邦がこの諏訪神社を崇拝していたと伝わり、拝殿や神楽殿を造営し、地域の総鎮守に定めたといいます。
また、仲山城は今に残る遺構から、戦国時代においても使用されていたという指摘もあり、これらのことから仲山城周辺が戦国時代にも地域の重要地だったことが推察できます。城下に残る経塚、御殿池、馬廻、樋ノ口などの地名から往時をしのび、歴史を楽しむこともできます。
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土地に残る伝承というのはとても面白いです。たかが伝承ということはなく、伝承には何かしらの真実が含まれていると思われます。侍女に横恋慕した色恋沙汰のもつれによって起きたと伝わる仲山城の戦いも、原因はさておき、仲山城で南朝と北朝の戦いが起きたという真実を含んでいるのではないでしょうか。野上下郷石塔婆に刻まれた「応安」という元号は、北朝が使っていた元号のため、十三回忌の法要をした段階では阿仁和直家の妻をはじめとした一族は北朝方であったことがわかります。また、仲山城を攻めた秋山継照について詳細は不明ですが、仲山城の北方に児玉郡秋山という地名があり、さらに、継照と一緒に攻め寄せた叔父平井重勝は平井城(現在の群馬県藤岡市)の城主と伝わることから、仲山城とそれらの地域には、街道などを介したつながりがあったことも想像できます。このように各地に残る伝承は、地域の歴史をひもとく鍵になるのです。
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■山城ガールむつみ
歴史&山城ナビゲーター。歴史コンサルタント。歴×トキ(レキトキ)代表、三浦一族研究会副会長、一般社団法人城組副理事、千葉城郭保存活用会副代表、千葉県匝瑳市シティ・アンバサダーなど。
歴史やお城をテーマにしたイベントやツアー、講座を全国各地で多数手がける。県内でも歴史と城を使った町おこし、地域活性化の取り組みや、各地の歴史発信のための御城印発行プロデュースなどを行っている。(https://www.rekitoki.com/)