「誰もが日々、何かしらに躓いて生きている」砂原浩太朗の最新作『浅草寺子屋よろず暦』の読みどころ(レビュー)
『いのちがけ』(講談社)で第二回「決戦! 小説大賞」を受賞してデビューし、第二作『高瀬庄左衛門御留書』(講談社)で野村胡堂文学賞や本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞、続く『黛家の兄弟』(講談社)で山本周五郎賞を受賞するなど、華々しい活躍をみせている書き手がいる。 砂原浩太朗氏である。氏の作品は、人々の心の複雑さを描き、誰でも経験として身に覚えがあるような名言を織り交ぜ、静かだが力強く物語の中に読み手をいざなってくれる心地良さが特徴である。それを成し得ているのは、思い出に情味を加えた風物の描写であり、それが読み手の心象風景と繋がり、重なり、変容してゆく。今、何度も繰り返し読みたくなるのは、氏の作品がもっとも多いのもそれが理由だろう。 最新作『浅草寺子屋よろず暦』(角川春樹事務所)は、これまでの神山藩シリーズとは打って変わり、『夜露がたり』(新潮社)に続く正統派の市井ものである。 主人公・大滝信吾は、旗本である兄の紹介で、浅草寺の境内にある正顕院で寺子屋を営み、源吉や三太、おさよなど町人の子どもたちを中心に読み書きを教えている。その寺子屋に通う子どもたちやその親に様々な問題が降りかかってくるのだが、放っておくこともできない信吾は、手を差し伸べずにいられなくなりその問題に寄り添ってゆく。 前半は、不器用ながらも飄々と問題を解決する様が描かれてゆく。一般庶民や町で暮らす人々の個の生活を描いた市井ものに徹している感が強く、これまでの砂原作品とは違うのだな、と思いながら読み進めた。 しかし後半の、正顕院の住職・光勝や信吾の家族たちが巻き込まれる出来事から、これまでの砂原節が蘇ってくる。そしてそれぞれの問題は、大きな江戸の闇へと繋がっていき、最後にドラマが待っていた。 誰もが日々、何かしらに躓いて生きている。その躓きとどう向き合い、乗り越えてゆくのか。人は一人ではなく、他者の助けで前を向けることがあるのだ。浅草の四季を背景に、住人たちと信吾の息づかいが聞こえてくるような文体に心痺れた。 自身の出自を受け入れてきたつもりの信吾に、光勝のある出来事の後、兄が語った言葉が強く心に残る。 「みずから苦しまれるがゆえに、ひとの苦しみを救える……かるがるしく申してよいことではないが、あの方を見ていると、天命ということばが頭をよぎるのだ」 天命を知り、受け入れ、向き合うことで信吾はある決断をする。その決断は読んで確かめていただきたい。 市井ものではあるが、本書もまた随所に砂原節が織り交ぜられた氏の作品だった。 [レビュアー]田口幹人(書店人) 協力:新潮社 新潮社 小説新潮 Book Bang編集部 新潮社
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