「世界中の女性のパンストを、うちの機械が作っていた」 パンスト製造機で世界を制した「小さな巨人」の精神を受け継いで
奈良県にある株式会社タカトリは1950(昭和25)年、繊維産業用機械の修理業として創業した。パンティストッキング製造器「ラインクローザー」を開発して世界64カ国に販路を拡大し、創業者の髙鳥王昌氏は「小さな巨人」と呼ばれた。その後、繊維産業は衰退したが、SiC(シリコン・カーバイド)加工機で世界有数のメーカーへと変革を遂げている。パンスト製造器で世界を制したタカトリの「ものづくり」精神と、経営のバトンを受けた経緯を、増田誠社長に聞いた。 【動画】病室で問われた「俺のものづくりを継ぐことができるか?」
◆ミスターものづくり“髙鳥王昌”
――創業者の髙鳥氏はどういう人物だったのでしょうか? 「尊敬できるミスターものづくり」。これがすべてです。 90年の生涯を閉じる最後の日まで、ものづくりに情熱を燃やしていました。 私自身、髙鳥のものづくりに憧れてタカトリに入社しました。ちなみに、私と血縁関係はありません。 ――タカトリはパンスト製造機で世界を制覇したそうですね。 かつて、パンストは手作業で縫っていました。髙鳥は「大変だから、機械化すればいい」と考え、画期的な機械「ラインクローザー」を開発しました。 ラインクローザーは、パンストの生産工程を変革し、地球の裏側まで世界64カ国を席巻しました。 当時、世界中の女性が履いているパンティストッキングは、タカトリの機械が縫製したと言ってもいいくらい、マーケットシェアを占めていました。
◆反骨心をたぎらせていた営業時代
――タカトリのものづくりの原点とは、何でしょうか? 社是である「創造と開拓」しかありません。 当社にある髙鳥王昌の胸像横に「終わることの無い使命を果たすべく、己の限界に挑戦し、志と夢を持って歩み続けよう! 創造せよ! 開拓せよ!」という碑があります。 言われたものをつくるのではなく、時代が何を求めるのかを読み切り、転ばぬ先の杖として製品を社会に供給していくこと。 これが私たちの原点であり、すべてです。 ――増田社長は、髙鳥氏とはどんな関わりだったのですか? 私は機械メーカーの社長ですが、文系出身です。でも、若いころから開発会議に営業の立場で呼ばれていました。 なぜか髙鳥の近くの席に座らされ、よく怒られていました。 いつも「増田は営業やから、技術はようわからん」と言われました。 私はまだ若くて血の気が多く、「このおっさん、何言うとんのやろ」と思っていました。 そして、「俺だって、自分で開発できなくても、社内のエンジニアや他社と組んで、自分の作りたいものを作るぐらいのことはできるわ」と、反骨心をたぎらせていました。 後から思えば、髙鳥は私にわざと反発させ、跳ね返りのエネルギーを期待していたのかもしれません。 今となっては感謝しかありません。